∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ September 11 ≡≡

改めて哀悼の意を表するとともに
無差別殺戮を否定する日

「2001年9月11日、アメリカのニューヨーク、ワシントン、ピッツバーグの3都市、4か所で起きたテロ事件。午前8時45分から10時半ごろまでの短時間に、ハイジャックされた4旅客機が次々とビルに激突、または墜落した」。(国会図書館レファレンス協同データベース)
「一連の攻撃で、日本人24人を含む2,977人が死亡、25,000人以上が負傷し、少なくとも100億ドルのインフラ被害・物的損害に加えて、長期にわたる健康被害が発生した。アメリカの歴史上、最も多くの消防士および法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった。また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争(2001年-2021年)が勃発し、世界中でテロ対策が強化された」。(ウィキペディア

 22年前の今日、珍しく早帰りした夜だった。テレビをつけると高層ビルにジェット機らしきものが突っ込み、ビルが炎上し始めている映像が流れてきた。
 周囲の風景からすぐにマンハッタンのワールドトレードセンター(WTC)だと分かったが、その途端に、なぜここにという疑問と、最後に出会ってから3年ほどしか経っていない数人の知り合いがどうなったのかと、一人ひとりの笑顔を思い出しながら、何も手助け出来ないもどかしさを感じていた。

 すぐにCNNのウェブサイトにもアクセスしたが、まったく繋がらないため、日本のテレビ局をザッピングすることで「何が起こったのか」を知ろうとしたが、しばらくすると新たなジェット機WTCのもう一棟に激突する映像が流れてきた。ふたつの超高層ビルが崩壊し、人々が避難するのと同時に、消防車やパトカーがWTCに向かう映像を見ているうちに「大規模テロだ。これは戦争になる」と確信した。

 ここまで1時間程度の同時中継を見ただけだったが、当時は時間の経つのを忘れて事の推移を追いかけていたと記憶している。

 その後、多くの情報が流れてくるようになったが、ウサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダが仕掛けた同時多発テロだと分かったのは数十時間経ったころだった。
 その後数日経ってJ.W.ブッシュアメリカ大統領が「ウサマ・ビン・ラディンが潜伏するアフガニスタンを攻撃する」という声明を出してアフガニスタン紛争が始まった。私が生まれて初めて当然と受け止めた戦争が勃発したのだ。

 戦争が激化する一方で被害の全貌も明らかになり、紛争も一応の収束を迎えているが、あのとき助けようとした人々や、生き延びようとした人々のことを考えると、今でも無差別テロの残虐性に怒りが込み上げてくるのと同時に、言いようのない虚しさを感じる。

 改めて、被害にあった人々と殉職したプロフェッショナルたちに祈りを捧げるとともに、そのご家族の皆さんに哀悼の意を表したい。

May you rest in peace.
and
Condolences to the family.
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[season13┃11 Sep. 2023┃11:55 JST
┃TOKYO : PRAY for the people┃
kaneiji : ueno park, taito city.
Photographed on 02 Jan. 2023