∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

想い出の街

◇僕は大学に入るまで神戸で生まれ育った。そして、今では東京暮らしの方が神戸暮らしよりもはるかに長くなっている。しかも浅草近辺や谷中近辺で暮していた時間が圧倒的に長いため、初対面の人からは「下町の人」と見られることがほとんだだ。
 確かに、下町暮らしが自分には合っていると感じているし、下町から違うエリアに引っ越そうっと考えたこともない。
◇ところで、僕にとっての下町は台東区墨田区の全域、明治通りの東側を占める荒川区の一部と、本郷台地の西側に広がる文京区と千代田区の一部でしかない。
 本来江戸の下町と言われていた日本橋や佐賀町はもちろんのこと、深川や木場周辺、人形町や馬喰町の周辺も入っていない。
◇それはともかく。16年前、神戸で大地震が起こった後、僕はガレキに埋まり、火事場独特の臭いが漂う神戸の街を歩き廻り、涙もでないほど茫然とした。
 ところが、その後、復興に向け動き始めた神戸に行くたびに感じたのはまったく違う感慨だった。一年に4〜5回は訪れていたのだが、そのたびに神戸が変わっていくのだ。
 とにかく綺麗になっていった。ガレキを取り除き、家やビルを建て直したのだから、どこへいっても「新築」ばかりが目に飛び込んでくるのだから当然である。もちろん、道路や歩道も綺麗になっていった。なかには公園になった場所や長田のように復興住宅がいくつも建築された所もあった。
◇そんな街を歩いていた時、自分が熟知していた神戸で迷子になりそうになった。確かに道路は昔通りなのだが、ビルや家が変すべて変わってしまったので「目印」がなくなってしまったのだ。
 本当にびっくりした。
 ずっと住んでいるわけではないが、自分が生まれ育った街の風景はしっかりと記憶されているはず。それなのに、この街では自分の記憶が役に立たなくなっている。
 その時、思ったのは「僕が知っている神戸はなくなった。これからは知らない街に来て、新たに自分の記憶を積み上げていかなければ」ということだった。
 悲しかった。辛かった。ティーンエイジャーだった頃までの自分の軌跡が消えてしまったのだ。
 しかし、地震から10年ほど経ち、表面的には復興も終盤に差し掛かったと思われた頃、ようやく新しい神戸にも慣れ、余計なことを考えずに自然と街を歩けるようになった時の嬉しかったこと。もう一度僕の心の中に神戸が生き返ったように思えたものだ。
◇今回の東北大震災でも同じような思いを抱く人たちが多いのではと僕は想像している。
 自分が住んでいた場所への愛着や記憶はそんなに簡単に消えるものではない。街はそれぞれの人の心の中で形作られる。これまで見慣れた風景が自分の存在証明の一部だったという、想像したこともない気持ちを抱くかもしれない。
 でも、いつの日か、ふと気付くことがあるはずだ。「この街で生まれ育ち、この街が復興していくところを見つめてきた自分は幸せだ」と。
 それは、古くからの顔見知りの人たちとともに新しい街を作りあげることだけで実感できる。元の場所に元通りの建物や道路を作ればいいというものではない。
 復興へ掛ける強い思いと、心と身体に染み込んでいるその街独特の生活感が合わさった時、古くて新しい街が復興する。僕はそう信じている。
[152/1000]