∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

一日ひとつ、楽しい出来事をって難しい

【楽しいこと嬉しいこと】


 今日、ある人から「夜、寝る前にその日の出来事を振り返ってみて、楽しかったことや嬉しかったことを想い出してみよう。それが明日への活力になる」というようなお話をお聞きしました。
 彼、曰く「楽しいことや嬉しいことは待っていても起こらない。自分から探しに行かないと」とのこと。
 おっしゃるとおり。「幸運は隠れているものではないし、向こうからやってくる来るものでもない」とおっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。
 僕だって、よく分かってはいるつもりですが、そんなに楽しいことってたくさんあるのでしょうか。今日、お話しをお聞きした方にそう質問すると、「どんな小さなことでもいい。たとえば名も知らぬ小さな花を偶然見つけたということでもいいんだ」とおっしゃる。
 つまり、視野を広くして、誰とでもフレンドリーに接して、いつも全力投球で、観察眼も磨きをかけて……。ということでしょうか。


【一日一善】


 以前「一日一善」という言葉が流行したことがありました。毎日、ひとつは良い事をしようということで、トライした人も多かったようです。
 でも、結局、わざと良い事をするためのきっかけを作ったり、実は有難迷惑なのに必要でもない人に無理矢理「良い事」を押し付けたりすることが多くなり、ただのおせっかい焼きと取られることが多くなってしまった、というような記憶があるのですが。
 確かに人に喜んでもらえる事をするのは大切です。でも、押し付けがましかったり自己満足だったりすると、逆にお叱りを受けることになります。


【楽しいこと見つけ隊】


 「楽しいことを見つけよう」と「一日一善」。どこか似ているように思ってしまったのですが、そんなことないでしょうか。
 無理矢理楽しい事を見つけようとしても、そんなに見つかるでしょうか。毎日、素敵な人と出会い、心地よい時間を過ごすことができるでしょうか。
 やはり、毎日は難しいと思うのです。いつも全力投球で生きているつもりなのでときどきは楽しいことや嬉しいことを経験します。でも、毎日となると……。美味しいものを食べたとか、素敵な出会いがあったということとは少し違うような気がしてならないのです。
 なにしろ、近頃では仕事はともかく、世の中の動きに納得できないことが続いているもので、どうもいけません。
 こうなったら、「善意の押し売り」ではありませんが、「楽しいこと見つけ隊」でも作ってみましょうか。時々訪れる「楽しいこと」が二日に一度くらいになるかもしれないし。ひょっとすると、その「念力」で辛い思いを強いられている東北の人たちに「楽しいこと」をお送りできるかもしれないなんて子供だましのようなことだって考えてしまいそうです。
 さあ、何か楽しかったことを思い出しながら寝るとしましょう。


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