∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

スカイツリー・押上・本所吾妻橋(その2)

押上駅


 2003年3月に東武鉄道伊勢崎線東京メトロ半蔵門線が直通運転を開始した。これによって、東京急行電鉄田園都市線・中央林間〜半蔵門線・渋谷経由〜東武鉄道伊勢崎線・久喜/南栗橋間が直通化した。
 この接続駅になったのが押上駅である。
 また同時に、京成電鉄押上駅も統合された。
 京成電鉄は千葉方面の電鉄会社を買収して支線を増やしてきた。特に都営地下鉄(1960年)、北総開発鉄道(1991年)、千葉急行電鉄千原線・1992年)などとの直通運転は千葉方面から都心部への移動をスムースなものにしてきた。現在では京浜急行浦賀都営地下鉄浅草線西馬込経由〜京成電鉄成田/印西牧の原/ちはら台が一本化されている。上野・成田間の京成本線や金町線なども含めると東京=千葉全域をカバーしている電鉄会社といえるだろう。


 つまり、押上駅は、ホームも改札も違うものの、ひとつの駅で首都圏の8つの電鉄会社が利用していることになる。ちなみにこの駅、出口は5つしかない。地上は錦糸町に通じる三つ目通りと浅草や田原町に通じる浅草通りの交差点である。江戸時代に作られた西十間川が駅入り口のすぐ横を通っている。


 10数年前までの押上は、下町ならではの人情や優しさを肌で感じられる町だったが、残念ながら、夜になると人通りも少なく、いくつかの食堂と居酒屋があるだけの街だった。僕はここの隣町である曳舟に数年間住んでいたこともあり、錦糸町や浅草に行く時によく通っていた。しかし、商店街には覇気がなく、将来に夢を抱くことなど到底想像も出来ない「場末」の雰囲気が漂っていた。


【オオッ高い】
 そんな街にとてつもない計画が持ち上がった。2006年に建設が決定した東京スカイツリーは地元に驚きを与え、活気を取り戻させる原動力になった。
 東武鉄道の本社ビルの隣にあった生コン工場を廃止して敷地を確保、利用されていなかった西十間川も親水公園として活用するということで計画はスタートした。高さ634mという世界で最も高いタワーということもあり、工事が始まった時点から観光客が押し寄せ、テレビでも継続して工事風景を取材している。
 

 タワーのすぐ近くからでは一番上のアンテナ部分を見るのにも一苦労するほど高いタワーである。隣の東武業平橋駅近くから見るくらいがちょうどいい、というのにもうなずける。
 だが僕は浅草、上野、三ノ輪などの路地から見るタワーのほうが粋な感じがして好きである。どういうわけか、路地の真ん中にドーンとタワーが見えるという場所が多いのだ。今では僕は、そんな道を選んで歩くことが多くなった。
 あの夜になると暗くてちょっと怖い感じだった場所にこんな未来建築物が出来、それが数キロも離れた場所からも強烈な存在感とともに見えるとは、以前と比べると隔世の感がある。


【洋食屋】


 隅田川を渡れば浅草で、周囲には向島の料亭街がある。そんな街だからだろうか。以前から本所吾妻橋界隈にはちょっと粋で洒落たレストランや和食の店が点在していた。
 そんな隠れた名店エリアには大変化が起こっている。イタリアン、フレンチ、インディアン、エスニックなどなど、何軒も小さくて美味しそうな店が誕生している。これもスカイツリー効果というのだろうか。


 浅草よりも安く、ボリュームは多く、味は見事。近くに住んでいる時には、僕もこんな飲食店を何軒か開拓した。時には途中下車をして夕食を摂ることもあった。特に洋食屋はお気に入りを3軒ほど確保し、順に入っていたような記憶がある。とにかく旨くてボリュームがあって、気取らずに食べられるところがいい。
 今回、ランチで久しぶりに訪れた店で、なにげなく聞くと、さほどお客さんは増えていないという。あれだけの店なのに、観光客は見る目がないななどと感じてしまったが、これも下町の現実。知らない人は見た目の良さで店を選ぶという定説通りである。
 しかも、スカイツリーが誕生すれば、隣接した商業ビルの中に出来るであろう飲食店にほとんどの観光客は取られるはず。ここでは大きな経済効果は期待できないのかもしれない。残念である。


【浅草到着】


 押上から歩いて20分も掛らずに浅草に到着する。アサヒビール本社を横に見て、吾妻橋を渡ると松屋浅草が見えてくる。水上バスの乗り場はその手前にある。浅草発〜浜離宮日の出桟橋/お台場/東京ビッグサイトなど、隅田川を通って行く観光用の航路が水上バス都心部の喧騒がうそのようなのどかなコースである。船内で飲食をすることがメインの屋形船とはまた違った風情が楽しめる。
 今回、下船した浜離宮は浅草からだと最短のコース。40分程度で到着する。最も遠い東京ビッグサイトまで行けば70〜80分の「船旅」が楽しめる。


 この船も中国からの観光客が多く乗船していた。ほぼ半数くらいかもしれない。そのため、音声ガイドは日本語・英語・中国語・韓国語でガイドしてくれる。
 それにしても、中国観光団の勢力の強いこと。観光や、国際交流などに慣れていない彼らを見ていると、数十年前の「農協観光団」はきっとこんな感じだったのだろう。スマートでエレガントな観光が出来るようになるには、あと10年や20年掛るのだろうなと想像してしまう。


【観光と時代の流れと現実】


 押上や本所吾妻橋スカイツリーの建設とともに元気を取り戻した。正直なところ、地元の小さな店に大きな利益はないかもしれない。しかし、地元の人たちの顔がイキイキとして、どこかに活気が感じられるようになったこと、それだけでいい。あの沈滞していた雰囲気が一掃され、注目の街に住む住人と意識出来るようになったことで、以前は考えることも出来なかったような新たなムーブメントも生まれるだろう。
 2012年12月にスカイツリーが運営されるようになった後、数カ月経ってからもう一度行ってみよう。きっと僕の知らなかった表情を見せてくれるはずだ。


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