∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

スカイツリー・押上・本所吾妻橋(その3)=街の発展

【押上にて】


 数年前まで、押上や本所吾妻橋曳舟は、都心に隣接していながら発展が停滞していた。
 この地域、江戸時代は大名の下屋敷や別宅、娼宅、文化人の庵などが点在していた。あの赤穂浪士吉良上野介の別邸はその代表格かもしれない。また両国には葛飾北斎が住んでいた。小説の世界では池波正太郎の『剣客商売』の主人公、秋山小兵衛の庵も近くに設定されている。
 本所吾妻橋の近く、向島には料亭街があり、花柳界につきものの見番もあるし、歩いていると三味線の音色も聞こえてくる時がある。
 第二次世界大戦中は機械部品、火薬、ガラス、精密機器などを作る軍需産業が集まっていた。今では考えられないが、鐘ヶ淵の花王、小村井のライオン、曳舟資生堂などの石鹸製造業者は、国策として、石鹸の原料を使い火薬を作らされていた。
 石原や緑地区にはメリヤス(つまりTシャツ素材)工場が密集していた。今でも、有名ブランドのOEMを担うような高い技術力を持つメーカーも多い。一世を風靡した「ボートハウス」ブランドをデビューさせたジョイマーク・デザインの本社はスカイツリーから歩いて数分のところにある。
 三つ目通りを錦糸町に向かうと精工舎があった。あのセイコーの東京工場で精密機器を作っていた。現在、その跡地は区画整理され、オリナスタワーとなっている。
 錦糸町から亀戸に掛けてはガラス産業。各務クリスタルも発祥はこのあたりである。今でも江戸切子の工房や理科実験用のガラス製品を作っているメーカーも何社かある。年末には近くの公園を利用して、ガラス製品の大バーゲンが行われている。
 世界でも指折りの印刷業者、凸版印刷は本所が発祥の地。今でも一部の業務はここで行われているようだ。


 ところが戦後、墨田区東京大空襲で壊滅的な打撃を受けながらも奇跡的な復興を果たしたものの、大発展はしなかった。
 しかし、今、墨田区の西側は東京スカイツリー建設を起爆剤にして大発展しようとしている。


 典型的な地場産業密集地といってもいいはずなのに、これまでの数十年間、この地域は日の目を見ることがなかった。小さいが高い技術力や発想力を持つ製造業者が多く存在するうえに、人情にも厚く、江戸の風情を残した典型的な東京の下町といってもいい地域なのに、いつも影に隠れていた。
 大田区が機械産業の雄とすれば、墨田区は生活密着産業の雄といっても過言ではない。しかも都心部へのアクセスは抜群。なにしろ、東京、千葉、埼玉、神奈川を結ぶ路線のターミナル駅が押上なのだから。


【街の発展】


 半蔵門線が乗り入れた時、これで少しは街の風景が変わるかな、とも思ったが、ほとんど変化はなかった。つまり押上は「通過駅」でしかなかったわけだ。
 だが、今回のスカイツリーの威力は大きい。なにしろに行かないことには話にならないのだから。施設の中だけで経済効果が完結しないようなアイデアやパブリシティを押し出すことができれば、必ずこの街は大発展する。
 墨田区らしい、小さな工房や企業がひっそりと生きている風景が変化していくことへの寂しさはあるものの、あの低迷した静けさからは脱却してほしい。
 江戸開闢いらい400年以上経つが、この地が一大観光地になったことはなかった。観光地であればいいというわけではないが、それでも、多くの人が集まる地になれば、そこで生活を営む住民にとっては、「活気」という何物にも代えがたい財産を得ることになるだろう。
 数百億円と言われているスカイツリー開業による経済効果の多くはスカイツリーとそれに付随した商業施設に集中するだろう。もし、そこに墨田区地場産業が出店すれば……。周辺地域の精神的な活性化という点では計り知れないものがあると信じている。


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