∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

使い方次第

【ある結審】


 昨日、ようやく結審した判決が最高裁で下されました。
 約8年前、高い匿名性を保ちながら、音楽や画像を取得できるソフトという悪名を頂戴することになったファイル交換ソフトウィニーの製作者は著作権侵害ほう助の容疑で逮捕されました。誰にも知られること無く、無料で著作権のあるものをインターネット上から取得するのも著作権侵害の共犯、つまりほう助に当たるという趣旨でした。
 当時東京大学大学院の情報工学系助手だった製作者の金子氏が逮捕された時、僕は「プログラムを作るにも倫理観が必要だろう」と率直に感じていましたが、その氏が僕の自宅近くにお住まいだったということを知り、「そうか、この街には、良否はともかくとして、英才が住んでいるんだ」などとお気楽なことまで感じていたのを記憶しています。
 その後、徐々に「このソフトだって使い方次第じゃないか。悪用することに問題があるのではないか。プログラムを創造することを無闇に規制するべきではないだろう」と、当初の拒否反応から受容へと自分の考え方が変わっていきました。ただ、その頃には著作権を守るためのプログラムも多く開発され、なにひとつなかったネット・ルールもある程度整備されたため、実際に使うこともなく、記憶の片隅に追いやってしまっていました。


プラグイン


 僕がコンピュータの虜になったのはウインドウズ95がデビューした頃です。当時はハードの性能もソフトの充実度も、今では考えられないくらい初歩的でレベルの低いものばかり。何かやろうとすると、必ずプラグインをインストールしないと使いこなせない時代でした。
 今や、デフォルトになり、OSに組み込まれるようになったソフトも当時はインターネット上から探し出してインストールしていました。それが安全かどうかも半信半疑なまま使い、使い勝手が悪い時には削除して、自分のコンピュータを「チューンアップ」。それがコンピュータというものだろうと思っていたわけです。
 そんな時代が終わりを遂げようとした頃にウィニーが登場したのです。「ここまで来たか」というのが率直な感想でしたが、同時に「悪用されるな」という漠然とした予想もしていたのを覚えています。


【使い方次第】


 情報体系としてのコンピュー・システムはこの10年で飛躍的にレベルアップしたものの、それを使う時のルールや倫理観は旧態依然としたところが残っています。おそらく、この状態はいつまでも続くのでしょう。対象がなければ新たなルールは生まれないわけですから。
 結局は個人の倫理観に寄るところが大きいのがコンピュータの世界。今回の無罪判決はプログラム製作に掛かっていた自己規制が緩和され、新たな良質ソフトの開発の一助になるはず。いやなって欲しいと強く願っています。
 使い方次第で世界は変わる。今回の判決は、この定理を改めて思い出させたものになりました。


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