∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ ある方のひと言がエネルギーに ≡≡

雑談のつもりだったのに

 今日の午後、数年ぶりにある方と出会い、雑談めいた話で盛り上がっていました。……そう雑談です。……そのつもりだったんです。

 ところが、話している間に内容がシリアスなものに変わっていきました。その中で氏が「“どうせ自分なんて”とか“もういいよ、どうにでもなれ”と思った瞬間こそ、前進を諦めた瞬間だからね」と自戒気味に語り始めたんです。
 具体的に手を引いた時が諦めた時だと捉えてきた僕はハッとしました。おっしゃる通りです。諦めるという精神的な行為なんだから、気持ちが萎えたり、引いてしまったりした時こそその瞬間という真理に目をつむっていたとは情けない限り。氏の言葉が身体の中を駆け巡るようでした。
 振り返ってみると、僕は何度もそんな瞬間のすぐ手前までいった経験をしてきました。そして、そのたびに「いや、もう少し」と思い直してきました。
 しかし、氏の論旨に沿えば“どうせ”とか“もういい”と思わなければいいわけです。逆説的に考えれば、必要以上にシリアスに捉えず、自分の思いや願いに沿って歩み続けることこそ“諦めない生き方”ということなんでしょう。

 雑談のつもりだったのに、素晴らしい教えを聞かせていただいたようです。再起動しようと思っていた月曜日にこんな体験が出来るなんて、この先「何かが起こる」のかなと、かすかな期待まで抱いてしまいました。

[3060]