∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 気がつけば半年が過ぎ ≡≡

激動はどこまで続く

 6月30日。新年のご挨拶を済ませてから半年が過ぎました。

 新型コロナウイルスが日本を大混乱に陥れ始めたのが2月半ばでした。1月後半、ちょうど春節の頃に中国の武漢で都市の封鎖や1週間で感染症用の専門病院が作られたりしたのを驚きの目で見ながらも、日本は大丈夫だろうとタカを括っていたのがこの頃だったと思います。

 梅が咲き、桜のつぼみがほころび出した3月になると、世の中は感染症対策一色に様変わりしていました。少しずつコロナの恐ろしさが分かってきても、どこかでなんとか抑え込めるはずだと儚い希望を持っていたのがこの頃だったのではないでしょうか。
 マスクがなくて探し回ったり、スーパーの棚がガランと空っぽになったりし始めたのもこの頃だったと思います。

 そして、誰もが満開の桜の花見を楽しみにしていた4月。「緊急事態宣言」が出されました。誰もが初めての経験だったため、その効果が何をもたらすのかもはっきりと分からないまま、感染症終息のためならと社会活動のほとんどをストップさせることになる“静かすぎる日本”に突入したというのが正直なところだったと記憶しています。
 何もかもがストップするということがどういうことなのかを体感し、我慢するしか手がないと気づき、不安と虚しさが入り混じった気持ちのなかで毎日を過ごすことになるとは、誰も想像出来なかったのではないでしょうか。

 5月も終わろうとしていた頃、緊急事態宣言が全面的に解除されました。しかし、そこに残されたのは的確さを欠いた政策・施策の爪痕や、理解の限度を越えてしまった社会の残骸だけでした。

 6月になり、少しずつ将来のことが考えられるようになっても、見えてきたのはこれまで見知っていた世界とは違う世界でした。いわば、すべての局面で模索を続けてきた1カ月だったのではないでしょうか。

 世界中が激動のなかで過ごした2020年の前半は、すべてが“右肩下がりだった半年”でした。そろそろ“右肩上がりの後半”について考えたい、実感したい、夢を見たい、と願っているのは僕だけではないと信じています。

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