風邪ひとつでも説明が必要な時代
山手線に乗って席を見つけ座った瞬間に、隣のオジサンが大音響のクシャミを放った。これまでなら「派手なクシャミだなあ」程度で済んでいたのに、氏は「風邪ですからね、風邪。安心してください」と繰り返し説明し始めたのだが、そこには、コロナと間違えられると大変だという心情が滲み出ていた。
氏はしっかりとマスクをしていたが、それでも“ハクション=コロナ”と間違えられたら一大事とばかり、説明を始めたのだろう。
大音響だったことも災いしたのか、周囲の乗客も理解はするけれど念のため注意しておこうというような視線を送っていた。
私自身、今日のクシャミは音に驚いた程度だったが、街なかで救急車を見かけると「ウッ、コロナか?」と注目するようになっている。過敏な反応と言われそうだが、これだけコロナが蔓延すると、漫然と眺めてはいられないのだ。
クシャミひとつで冷たい目で見られるのは心外とばかり説明を始めてしまうが当たり前になるなんて、なんとも住みにくい時代になったものだ。
いったいいつになったらこんな警戒態勢から解放されるのだろう。いや、そんな日はもう戻ってこないのだろうか。
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