∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ ウェブセミナーに参加して ≡≡

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▲『清明の候』‥清浄明潔・桜散る

オンライン授業のあるべき姿とは

 今日の午後、とあるウェブセミナーを受講した。
 ちなみにこのセミナーは、スタート時間が決まったリアルタイムのオンライン・セミナーで、いつでもオンデマンドでアクセス出来るものではなかった。つまり強制的な時間拘束を覚悟しないと参加できないものだったが、このテのセミナーが初めてということもあり、若干期待していたのだが……。

 正直に言おう。モニターの中から一方的に話しかけてくる相手を見つめながらの3時間半は“しんどかった”。
 質問することも出来ず、途中で内容を振り返ること出来ず、ひたすら見聞きするだけというのは、知識を吸収しようとする作業には向いていないというのがよく分かった。大袈裟だが「知見のシャワーを拷問のように浴びている」ような気分になってしまったと言っても差し支えない。
 通信教育で採用されている、録画された授業を何度でも再生出来るオンデマンド授業やDVD授業に近いものではと想像していた私が世間知らずだったようである。

 そんなセミナーを受講しているうちに、まん延防止措置が出ている大阪府で要請が出ている「大学のオンライン授業推進」に対して疑問が湧いてきた。

 同じオンラインでも、たとえばZoomなどを使って双方向性が保たれている環境で行われる少人数のゼミなら“生きた授業”になるかもしれない。
 しかし、今日参加したセミナーのように「この時間には必ずモニターを見ているように」という、いわば出席するだけで単位が取れるスタイルの授業だったら残念ながら講義内容は身につかないはずだ。
 私も途中からコーヒーとタバコ片手に聞き流すスタイルに切り替えてしまった。

 さしてデジタルリテラシーが高いとは思えない先生が、双方向性を意識しながら講義内容を作り直した講義に出席して、質問できるタイミングを図りながらモニターを見続けなければいけない学生という組み合わせならまだいいだろう。
 しかし、録画された講義を見るだけの授業に付き合わされる学生がいるとしたら溜まったものではない。もはや災難である。

 コロナ禍は、教育に対する大学の向き合い方や、授業に対する教師の姿勢、そして知識吸収に対する学生の立ち位置まで変えてしまったのではないだろうか。オンライン授業が健全な方向に進んでくれることを願うばかりだ

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