なぜいまさら
東京観光の代表格として江戸時代から親しまれてきた浅草寺にお参りに行く時は誰もが“本堂”に向かう。しかし、客殿や住職の間、台所、書院などが入る“本坊”は仲見世の西に位置する「伝法院」にある。知る人ぞ知る美しさの中庭もこの中にある。
今、この伝法院の南側の区道を舞台にして台東区とそこを専有している小売店32軒との間で騒動が起こっている。
戦後すぐから闇市として栄えていたが、現在の浅草公会堂を新築する時に区画整理が行われて伝法院の壁に沿った小屋店だけが残って営業を続けてきた。資金を出し合い、決して豪華とは言えない長屋式の商店街だが、それなりの体裁も整えてきた。
仲見世商店街と同様に、個々の店のシャッターには浅草らしさを感じさせるイラストが描かれていることもあり、今では浅草観光には欠かせない商店街のひとつになっている。
しかしその商店街は、現在の店舗に建て替える時に当時の区長との間で道路使用料なしでつかってよいという口約束を得ていた。
その口約束を根拠に以後40年ほど、いわば借地料に当たる使用料を納めることなく営業してきたわけだ。
ちなみに台東区は、何度か立ち退きを求めていたようだが、そのたびに区との間の暗黙の了解があるとして話は持ち越しになっていたらしい。
ところが、そんな時間の流れがここに来て急に変わり、立ち退き話が本格化してきてしまったのだ。
そんな話を信じる
びっくりしたのは当の商店街だけではない。地元民も常連の観光客も驚くやら、呆れるやら、怒りにかられるやらの大騒ぎになってしまったのだ。当たり前である。日常風景が突如消えてしまうなんて想定外もいいところだったのだ。
古き佳き浅草の風情が残る商店街が消えてしまったら、ただでさえ残り少なってしまった浅草らしさがまたひとつ消えてしまうと感傷的になっている向きも多い。
充分すぎるほどの道幅があるにも関わらず、区は道路拡幅を目指しているというがそれだけだろうか。観光資源のひとつを消してしまって何かメリットでもあるのだろうか。
いったい区は何を目論んでいるのだろう。
地代なのか道路使用料なのか、それとも浅草寺周辺では珍しい分譲なのか。解決方法はいくらでもあるはずだ。とにかく健全な形で営業が継続できるように早期に決着を付けてほしいものだ。
立ち退きなどというヤボな話は浅草には似合わない。
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『芒種』‥田植えの季節。
転じて、先々の実りに向けて着手する頃
[0609 - 3806]
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