∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ VARの功罪 ≡≡

「神の手」の時代は去り
いまやエビデンスを厳守した
“Seeing is Believing”の時代に

 サッカーワールドカップの日本対スペイン戦の結果を知ってVAR判定ほど観客をハラハラさせるジャッジはないと確信した。
 オフサイド、ハンド、アウトオブプレー……。最高峰の国際大会に限られているとはいえ、従来ならレフェリーの判断、つまり“見た目”で判断されていたものがVARという映像の力でジャッジされることに依存はない。昔から人の動きを映像で判定すれば正確なジャッジが出来ると言われてきた。それが実現したのだからいいに決まっている。

 古いタイプに属する私は、あまりの厳密さに一抹の寂しさを感じてしまう。

 スポーツは人と人と“競い合い”だが、それをジャッジするのは人間だ。厳密そうでいて、実はいい加減な人の目が判断するのだから、誤審だって起こるし、勝負の行方を決めてしまうこともある。これまでは、問題が起こってもジャッジには従うのが暗黙の了解になっていた。
 だからこそ「マラドーナの神の手」や、プロ野球の二出川主審が放った「俺がルールブックだ」というような唖然とするしかないジャッジも堂々とまかり通っていた。
 今風に言えばエビデンスのないジャッジでしかないようだが、VARシステムが採用されるまでは、審判の熱い思いがすべてを“取り仕切っていた”わけだが、これもスポーツの醍醐味のひとつだった。

 もし今回、日本とスペインが逆だったらどうなっていただろう。VARを見て素直に諦め切れただろうか。きっと「いや、そうじゃない」という大合唱が起こっていたのではないだろうか。それとも、映像に残っているのだからと「百聞は一見に如かず」と納得していただろうか。
 人は誰しも自分にとって有利に働く証拠には好意的だが、不利な証拠が出てくると、一度は、反論を試みるものである。

 今回はスペインのサポーターが納得してくれたから収まったが「映像ではそうだが、どうしても納得できない」という選手がいたとしても不思議ではない。

 時代が変わったというべきか、人の熱情が失われていくというべきか。なんとも「正しいけれど悩ましい」時代が訪れたものだ。
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[season13┃03 NOV. 2022 ┃19:00 JST
小雪』‥紅葉は最終章へ。山にはハラハラと雪が舞う。
AUTUMN SCENE:suwa-jinja, nishi-nippori, arakawa city
Photographed on  02 DEC. 2021