∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

〓〓 変わったこと、変わらないこと 〓〓

古き佳き神戸が消え去った日
この日を境に
あらゆる発想が変わった

地震やー、怖い」
 29年前の1月17日、早朝6時すぎに上ずったような緊張した声で母から電話があった。神戸が大地震に襲われたというのだ。
 さっそくテレビをつけて確認したが、発災から20分ほどしか経っていない頃である。第一報以外何も具体的な情報を得ることも出来なかった。その後、刻々と情報が入り始めたため、今度はこちらから電話したが通じなくなっていた。

 あれから29年経った。

 29年も経ったのに当時のことは忘れていない。特に、発災から5日経って変わり果てた神戸を直視したときからの記憶は鮮明に覚えている。

 そして17日前、能登半島を大地震津波が襲った。

 報道されていることだけが頼りだが、手探りで復旧や支援を進めていた阪神淡路大震災と比べて「時代は変わったなあ」という思いとと「いつまでも経っても変わらないなあ」という思いが錯綜している。

 災害復旧や救援作業そのものに関しては、文字通り様変わりした。

・インターネットの普及を始めとした通信環境の激変
・土砂崩れや瓦礫の撤去などに関わる作業の地理的な条件も踏まえた合理的な方法論の確立
・対口支援など自治体同士が柔軟かつ合理的に連携する体制の拡充
・医療や介護やライフラインの復旧など基本的な人間性を維持するために不可欠な業種ごとの連携

 ありとあらゆる分野で「親身で寄り添うこと」「つながること」「連携すること」そして「復旧の迅速化」などの合理的な支援と復旧が実現してきた。

 それに対して未だに変わっていないと感じるのは「後々責めを負わないようにする慎重過ぎる発想」である。これだけプッシュ型の支援が当たり前になっているというのに、未だに「市民からの声がないと動けない」という悪習が残っていると感じることもある。さも分かっているかのように語るコメンテーターやSNS発信者に至っては邪魔モノでしかない。もちろん、火事場泥棒に至っては悪でしかない。

 日本は大規模災害から逃れられない。それだけに災害復旧や復興に向けての方策など、これ以上苦い経験を繰り返させないための知見のブラッシュアップが絶対的に必要なのだ。

 いかにして大災害と積極的に向き合うか。日本に課された課題は果てしなく大きい。

第二神戸市歌(1番)
作詞・作曲 臼井 真:神戸市灘区住吉小学校教諭(当時)

地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように
≡≡≡≡≡[season14]13:15/1・17/2024 -小寒-≡≡≡≡≡
┃SPRING will be far BIHIND┃
-Nature grows up in the midwinter-
Takashimadaira, Itabashi city.
Photographed on Nov.30/2023