∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

コミュニケーションの基本ってなんだろう

この頃、特に中国から来た人たちと話す機会が増えているんだけど、その中に明らかにほかの国から来た人たちと態度が違う人たちがいるのよ。
初めて海外に出た、中国語しか話せない人たちなんだけど、その人たちはことごとく自己防衛なのか、それともプライドが高いのか、何から何まで「ダイジョウブ、ダイジョウブ」で済ませて、結局自分では何も解決できないで、解決させないそちらが悪い的な対応をしてくるんだ。
ところが、香港の人たちやオーストラリア系、カナダ系のチャイニーズとなると、ほかの国の人たちと同じように、英語と片言の日本語とボディ・ランゲージでなんとか対話しようと努力している。
やはり、言葉って大切なんだなと思うのと同時に、能動的に対話しようとすることの大切さを感じるんだよね。自分のやりたいことを知ってもらうことと相手のことを知る。そこで穏やかな空気が流れはじめるだろうなと考えちゃうワケ。
こんな中国語しか話せない中国人を見ていると、数十年前、日本人がやっと海外旅行に出られるようになったときと同じなのかなと思うことも多いんだ。でも、日本人の場合、ここまで排他的にガードを高く出来なかったんじゃないかなとも思うし。
それで「怖さを強がりで隠して」来たことはなかったかなと自分を振り返ってみると、ないわけではない、情けない、なんていまさらのように妙に反省してしまうワケ。
普段の生活の中でも知らないことに直面すると必要以上にガードを高くしていることもあるなあ、なんてことも思ってしまうんだ。
素直にガードを低くして直面していることと対峙すれば、きっといい結果が出る。相手がずる賢いヤツでも、こちらの見た目のガードが低ければボロを出すってことにも繋がりそうだね。