∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

バレンタインデー

とうとう、バレンタインデーがやって来た。密かに恋する女性だけでなく、義理を果たそうとしている女性、そしてもらえるかどうか不安にかられながら待っていた男性。それぞれがこの日が来るのを待っていた。
という公認メッセージはさておき。
この日だけが一年に一度だけ、女性から愛を告白していいとされているが、女性は好きな人に一年に一度しか告白してはいけないのだろうか。こんな理不尽なことはない。本当にお付き合いがしたくなれば、いつ告白してもいいではないか。いや、しているはずだ。
現在進行形のふたりが一層ロマンチックな関係になれる、そんなチョコなら納得出来るのだが。
義理チョコを渡さねばと考えている女性は、本心で渡してくれているのだろうか。いただく立場にある男性として、そのように感じられない時があるのだが。確かに「いつもありがとう」というメッセージがこもっていることが多いが、なかには渡さないと体面が保てないから無理をしているように感じる時もあるのだ。そんな時は、中元や歳暮よりも義務的な感じがして、複雑な気持ちになる。こんな状態だから「友チョコ」のような、本当に渡したい人に渡そうとする派生ムーブメントに意識が高まってしまうのでがないだろうか。
いただく立場の男性のなかにも今年は義理チョコが何個集まるか、なんて力量競争のように思っている勘違いオヤジが存在する。たとえば会社でいただく義理チョコの場合は、その立場の違いや女性の人数で変わってくるだけ。決して本人の魅力ではないということを理解したくないオヤジが多いのではないだろうか。
ところで僕の場合。当然のように告白付きのチョコはない。義理チョコも自由に使える時間が増えてから、それに反比例して減った。しかし(失礼を承知で言えば)その分、ありがたみは高まった。
最盛期は誰からいただいたものかメモをつけて忘れないようにして、ホワイトデーにはそのメモを元にお返しをしていたのだが、今ではそんな必要もないほど減った。寂しくもあるが、ほっとしているというのも本心なのだ。
ちなみに、甘いもの好きな僕のこと。いただいた端から食べてしまい、密かにマイチョコ・ランキングを付けるのが恒例になっている。まあ、今年は簡単だったけれど……。もう少し食べたいので、自分で買いに行こう。
オヤッ、すっかりマーケティング・プランにはまってしまったゾ。
[本日で連続0099日]