∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

昨日までここは街でした

◇「昨日までここは街でした」。これほど災害の悲惨さを伝える言葉は聞いたことがなかった。
東北地方太平洋沖地震
テレビの報道を通して津波の恐ろしさを初めて知った。あんなに大量の海水が、あんなに早く、あんなに広く。都市が壊滅していくのに数分しかかからないなんて知らなかった。これでは避難も救助も「出来ることから」状態になるのはやむを得ないだろう。災害にあった地域の皆さんや関係者がどれだけ辛く苦しい思いの中で過ごしているかを考えると、こちらがパニックになりそうだ。
津波の恐ろしさをまざまざと見せつけた今回の激甚災害では、これまで「誰も知らなかった被害」が出ることに間違いない。
地震、そしてその後すぐ起こった津波から40時間くらい経った今、まだ災害は続いている。今も余震が続いている。まだまったく連絡が取れない地域や、行政機能を完全に失った地域もあるという。状況把握が出来ない状態の中、救援の手が伸び始めた地域もある。
◇僕は昨日からツイッターとかなりの時間を過ごしている。実際に手を貸すことが出来ない今、僕に出来るのは、お役立ち情報をリツイートするくらいのこと。今、インターネット上では世界中の人間が「緊急拡散」を繰り返している。いわば「クラウド・ヘルプ」といったところだろうか。
◇16年前の阪神淡路大震災の時と比べると人々の災害との関わり合いが一変したように感じている。政府や行政の対応もスピーディで現実的なものになっているが、それ以上に一人ひとりの関わり方が「支援に参加する」ものに変化したと感じている。
神戸の地震の時、動物検疫や薬事法を囚われて海外からの支援を受け入れることが後回しになったことや、批判を恐れて情報公開事項を極力控えたを思い出した。
それが、なんと今回はアメリカの空母が支援に向かっているという。巨大な救援施設が突然現れるわけだ。すでに到着している韓国の救援部隊に続いて数十カ国から救援隊が駆けつけることになっているという。つまり、「自分の国は自分で守る」とか「救援という名目の国状調査の否定」などという旧時代的な発想はまったく通用しなくなっているわけだ。
◇インターネット、扇動的にならない報道、国境を超えたグローバルな災害支援。災害を救援する側の態勢は変わった。これからは救援を受ける側にとって有益なインフラや新技術を開発することが重要になってくる。
たとえば携帯電話。バッテリー寿命が極度に長くなるとか、移動基地局が災害発生と同時に現地に向かうシステムの構築も必要だろう。テレビの文字放送が読めるような画面上のQRコード表示も考えられる。
もちろん、国境を超えた災害救援機構の設立もプランのひとつにしておきたい。
◇「個と公と広」のマッチングを考えながらの災害救援態勢を真剣に考える時がきた。
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