∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

自転車とケータイ。地震とケータイ。

◇自転車に乗りながらケータイを見続けている人がいる。電話をしているのではない。時々前方をチラチラ確認しながらも、見ているタイプだ。
 僕はこんな人を見ると「余裕のない人だなあ」と思ってしまう。時には「完全に振り回されてる」と思うこともある。
 そんなにケータイでメールを見たり、ネットを見たりしていないといけないのだろうか。時間がなくてツイツイというわけでもないだろう。
 まさか、走りながらケータイを操作することがカッコイイと思っているわけでもあるまい。
◇今日もそんな「走るケータイ派」と遭遇した。薄暗かったが、ケータイ画面の明りでボンヤリと浮かび上がっている顔を見ると若い男性だった。
 彼はゆるい坂道を上がってきた。実はこの坂道、人がすれ違うのが精いっぱいという細さで、人間だって一列縦隊で交互通行している歩道である。そこを何人かの人を避けつつ、ケータイから目を離さず、ふらつきながら上がってきた。
 そして彼は、ガードレールにぶつかった。
◇向こうから人が来ることを分かっているのに自分優先で自転車を走らせたうえの前方不注意という二重の違反である。今では道路交通法も変わり、ケータイを見ながらの走行は禁止されているはずだが、それ以上に「人が先」という最低限のマナーも持ち合わせていなかった彼、どう見ても「自業自得」だった。周囲の人たちも同感だったのか、誰も声を掛けない。彼も、何かしら「みっともない」と感じるところがあったのか、ケータイを閉じてスピードアップして走り去っていった。
◇しかし、彼はもっと重大なことに気がついていない。彼はケータイ派なのである。
 今、移動通信の主流はスマートフォンになりつつあるが、コイツは片手では操作しづらいのだ。どうしても片手で持ち、もう一方の手指で操作しないと快適な操作はできない。
 もし彼が意気がってケータイを操作していたのだとしたら、それより前に自分が「流行遅れ」になっていることに気がつくべきだった。つまり「古い」のだ。
◇流行に乗ってカッコいいと思っていたこと、常時チェックしていないと不安になりそうな事、すべて、すでに価値観は変わっている。これからは走りながらケータイを見ている人と遭遇したら「古いな」と思うようにしよう。
◇ところで、東北の被災地でケータイの新規加入が増加しているという報道があった。
 こちらは純粋に「声や言葉のつながり」を求めてのことだろう。電話やメールも立派なライフラインのひとつになった現代、大災害の後にケータイのありがたさを知った人も多かったのだろうと推察できる。
 自転車で走りながらケータイを見るのとは大きな違い。必死で「つながり」を確保しようとする被災地の人々と比べると、あまりにも程度が低すぎる。そろそろ彼にも本当のカッコよさを知ってほしいものである。
[188/1000]