【雑誌を読んで成長した】
『ぼくら』『冒険王』『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『ボーイズライフ』『アンアン』『朝日カメラ』『カメラ毎日』『JAZZ』『JAZZ批評』『話の特集』『ワンダーランド』『宝島』『ドレッセージ』『流行通信』『エラリークイーン・マガジン』『文藝春秋』『潮』『朝日ジャーナル』『平凡パンチ』『ポパイ』『メンズクラブ』……。
僕は10代の後半から猛烈に雑誌を読むようになった。文学の世界にのめり込むようになったのは高校一年の時からだが、雑誌は小学生の時代からガツガツと読んでいた。もっとも、すべてマンガだったが。たとえば『少年マガジン』などのマンガ御三家は創刊号か第二号からずっと読んでいた。
ファッション誌を読むようになったのは『アンアン』が創刊された時から。若き日の立木義浩氏と篠山紀信氏が毎号交代で巻頭特集を撮っていた時代だ。もちろん『ポパイ』は創刊号から。
メンズ・ファッションの大御所、『メンズクラブ』を読み始めたのは「ヘビーデューティ」という名前で呼ばれていたアウトドア・ファッションに興味を持ってから。当時のこの雑誌には〈アメリカン・ムーブメント〉がぎっしりと詰まっていた。
写真誌もよく読み、その時初めて海外の写真家も新宿派もコンバット・カメラマンも知った。
ジャズもそうだが、政治やサブカルチャー、トレンド・セッター、ファッション……。何もかも雑誌で勉強し、雑誌で夢を描いた。そして、
いわば、雑誌が僕の精神構造を育てる原動力のひとつだった。
【雑誌がすべてだった時代】
第二次世界大戦終了後の日本で雑誌と言えば〈カストリ雑誌〉と呼ばれていたものだろう。当時としては低俗で卑猥なものばかり、紙質も悪い。しかし、刺激と情報と活字に飢えていた当時の人々はむさぼるように読んだらしい。
僕が雑誌を読み始めた頃は日本人が気持ちにゆとりを取り戻し、洗練されたモノを知り、物事を深く鋭く見つめることが出来るようになった時代である。当時、雑誌は時代を反映し、リードしていた。ハッキリ言って、今、あれだけのパワーを持ったメディアはない。
【雑誌を読まなくなった】
インターネットのようにオートマチックに拡散していくメディアが主流になったが、70年代の雑誌のように「これさえ読んでいれば時代の最先端が分かる」という強力は磁力を持ったメディアには程遠い。それだけに当時の雑誌に対して「懐かしい想い出」として一層思い入れが強くなるのだろう。
そして、今、雑誌を読まなくなった。
自分の年齢がそうさせるのか、それとも個性にあふれ印象的な雑誌が少なくなったからだろうか。どうも、近頃雑誌を読まなくなった。
もちろん、仕事上の経験もそうさせる要因かもしれない。最初に「奥付」を読んでしまうようになると、どうしても個人的なワクワク感やドキドキ感だけで手に取れなくなるのだ。
だが、それにしても、当時との落差が激しすぎる。残念ながら今の僕には雑誌に対して「絶対読もう」とか「これでしょ!」といった期待感がなくなった。
【もう一度雑誌狂いになりたい】
誰か創刊してくれないだろうか、僕が読みたい雑誌を。
団塊の世代、団塊ネクストの世代には僕と同じような感慨を抱いている人たちが多く存在するはず。そんな潜在読者を掘り起こしてくれる雑誌が出現したら、きっと僕は昔のように「発売日が待ち遠しい」状態になるだろう。
年は取っても「年寄り」ではない。定年は迎えたがまだまだ勤労意欲は衰えない。直接的ではないが、トレンドやムーブメントの取り入れ方も熟知している。はったりや一過性のものを見抜き、サラッといなしてしまえる充分な人生経験。
確かに手強い相手だ。しかし、人口比率では最大だし、確実な主張と自己認識では誰にもひけを取らない。こんな世代をほっておくなんて……。
世の編集者諸君よ。どうかもう一度、世の中を俯瞰してターゲットを見据えてほしい。僕が言うのもなんだが、ここには「金脈」が埋まっている。
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