∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

皆既月食顛末記

【半分欠けてる】


 絶対見るぞ、と意気込んでしまった昨日の皆既月食。結局、月が半分欠けた頃から見始め、断続的ながら、月が元通りの満月になるまで見てしまいました。
 寒さに震えながら、天頂を見上げ「オッ、半分欠けてる。なるほど欠けた所は薄暗く見えるんだ。なんだかマッシュルームの親戚のようだな」などと感心することから始まったのですが……。
 完全に隠れた時、真っ暗になるのではなく赤黒い状態になるとは、聞いてはいたものの、どうも感激が薄くなってしまって。光の屈折ということでしょうか。単純に考えると地球のほうが大きいので月が地球の陰に隠れてすっかり見えなくなると考えることこそ、素人の浅はかな考えだったようです。
 その後、一度、部屋に入って“暖”を取り再度外へ。今度は足踏みをしながら、月が復活していく様子を見てしまいました。月の冷たく白い光と地球の影の部分が暗黒になったコントラストが美しく、見惚れてしまうことに。
 この宇宙規模の光のドラマ、現象としては11年ぶりということですが、個人的には生まれて始めての体験。宇宙の動きって壮大だなとか、この状態を月からみると日食なんだろうなとか、地球に空気があるから光の屈折が起きているんだなとか、いくつか思うところも出てきた貴重な体験でした。


【人生に重ね合わせて】


 ところが、そんな科学的な思いと並行して、僕は不覚にも人生の“波”と重ね合わせて考えてしまったのです。


 透明な空気の中、あくまでも白く光る満月が少しずつ欠けていき、欠けた所は暗く沈み混んでいく。皆既状態になると、形はあるもののどす黒く濁った赤い円でしかない存在。少しずつ月の光が蘇り、クリアな白い光の範囲が広がっていく。最後には輝く部分と対照的に欠けている部分は純黒に近い状態、つまり輝いた部分と見えない純黒の部分が共存する。


 なんだか長い人生の波を象徴しているように思えてなりませんでした。“落ちて行く”時の状態や、暗褐色になってしまった“どん底”の時。そして光と影が共存しながら“登って行く”時。その時々には意識できない人生の波が、皆既月食の中に隠されているのでは、と深刻に考えてしまい複雑な気分のまま引き揚げることになってしまいました。


 その後、身体が温まり、気持ちが落ち着くまでは少しだけ「落ち込んで」しまって……。もちろんぐっすり寝た後は「素晴らしい体験だったな」と思い直しましたが。
 きっとあの寒さの中、一人で見たのがいけなかったのでしょう。風邪だってすっかり本格的になり、昨日以上に「鼻水垂れ流し」状態になってしまいましたから。


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