∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

橋下問題の収束(その1)

【温度差の問題?】


 朝日新聞グループによる謝罪と編集長更迭、第三者による検証委員会の設置などの対応で「週刊朝日対橋下問題」が急速に収束に向かっています。
 これで商業誌と公人の間で起こったトラブルは一応の決着を見たとするべきなのでしょうが、僕はこの問題が起こったことによって「差別に対する温度差」について改めて考えさせられるようになりました。


 地域差ってなに? 御先祖の職業がどうしたの? 被差別部落や特定の職業について囚われない人たちばかりならいいのですが、依然としてあの地域はこうだからとか、貴賎はないとはいってもあの職業はねえと、口には出さないまでも心の奥底では締め出す人は多いのではないでしょうか。
 通常はしなやかな柳腰で対処するのは日本流かもしれませんが、今回は橋下氏という「何が何でも勝たねばならない」と考える日本人には珍しい強烈なディベート人間が相手だったために、問題が「トンガッタ」だけと考えている人も多いのではないのかとも想像しています。


 しかし出身した高校の周辺に未開放部落(当時はこう言いました)があり、部落問題や在日朝鮮人問題で徹底的に語り合ったり、以前勤めていた出版社が血脈問題で大揺れに揺れたことがあったりする僕にとっては「当事者のことを基本に考える」ことがなによりも大切だと信じています。
 「言われなき偏見」が起こる原因も拡散する要因も一筋縄ではいかない事ばかり。僕の高校時代のように「何もかもが差別につながる」と言うつもりはありませんが、それくらい“差別”は微妙な問題だと確信しています。


 それだけに、特に影響力の強いメディア関係者は差別に対して真剣に考え、慎重に取り扱うべき問題。それをセンセーショナルに取り上げるからにはそれ相当の覚悟があったと思っていたのですが。どうも違ったようでした。誰よりも強い信念をもった出版社と編集者が取り上げた記事ではなかったということだったわけです。


〈明日に続く〉


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