∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 難解なことほど判りやすく ≡≡

「そば屋の出前持ち」でも
理解できる言葉で書け

 「そば屋の出前持ち」。今では職業差別と決めつけられる言葉ですが、今から40数年前はまだ今のような意識もなく、知識や読解力に欠ける若い人を例えてこう表現することがよくありました。
 僕が新卒で出版社に入社し、とある編集部に配属された時の編集長もこの例えを使って、スタッフが書いた原稿を直させていました。
 その真意は「難しい事象を難しい言葉で伝えるのは誰でも出来る。我々がやるべきことは、誰でも理解できる言葉で伝えていくことにある」というものだったと記憶しています。

……今、僕はそんな編集長からの教えを心に留めずに出来損ないのまま卒業してしまったことをどんなに悔やんでいることか……。


 ところで、この“誰でも理解できる言葉”というのがとんでもない曲者なんです。

 新卒の新入社員として何も知らずに飛び込んだ世界で、読者同然の人間が、顔の見えない読者に向かって何かを“判り易く伝える”のは至難のワザ。いや、不可能と言ってもいいくらいです。
 “判り易く伝える”ということはモノゴトそのものをある程度は理解していないと出来ません。書物から得られる基礎知識、専門家や作り手自身に取材、自分で使いこなすなどの作業を繰り返さないと“判り易く書いた”つもりでも必ずしっぺ返しが来ます。

 しかもどんな世界でも、初心者ほど難しい言葉を使いたがるものです。たとえば「教養のあるところを見せたい」とか「知ったかぶりがしたい」とか、なかには「よく判らないから難しい単語で読者を煙に巻いてしまえ」という荒くれ者や、誰かが書いた記事を定型文代わりに使ってその場を誤魔化す強者だって出てきます。
 どんな意識でも、その根底には「カッコいい」とか「出来るヤツ」、あるいは「背伸びしたい」というような心理が働いていると思って間違いないでしょう。

 こんな地に足のついていない文章で読者が満足するわけはありません。妙に気取ったあげく、ぎくしゃくしてしまった原稿ばかり読まされていた編集長が「そば屋の出前持ち」云々と言い続けていたのも判るような気がします。

 格調高い名文よりも、伝えようとする意志が判る平易な文章を目指す。ウーム、難しい課題です。

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