∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

なんと、今日は誕生日、でした

【年齢は八掛けで】


 フェイスブック上に古い知人からこんな言葉で始まるメッセージが届きました。


 "Happy, Happy Birthday to Nagura san !" on April 25,2013


 正直なところ、このメッセージをいただくまで今日が自分の誕生日だということに気が付きませんでした。プレゼントを期待するわけでもなく、イベントを期待するわけでもなく過ごしてきたのがいけなかったのか、他人のほうが気にしてくれているじゃないかと、我ながら呆れています。
 今年で幾つになったかですか? アカウントを持っているSNS上ではどこでも50代としていますが、本当は……。


 年齢だけはいつも「八掛け」。これをモットーにしてはや20年以上経ちます。身体的には年相応な衰えを感じることも多いし、人生の経験値は知らず知らずのうちに身についてしまったことも多いので「歳は誤魔化せない」という正論が通ります。しかし、こと気持ちとなると、まさに「気の持ちよう」。柔軟で行動的でありたいと思う時に年齢は不要だと確信している僕は(精神)年齢だけは八掛けで考えるようにしています。そして“精神年齢こそ齢(よわい)の核心”だと信じています。
 一部の方ならこの「八掛け」というのが何を意味するか、おわかりになるでしょう。そう、雑誌に広告を掲載した場合の雑誌社の取り分の基本です。あとの二割は広告代理店のマージン。もちろんこれも“基本”ですが。
 僕はこの言葉を自分の年齢に適応しているわけです。「正直に実年齢で通せよ」という声がほとんどという環境のなか、頑固にこの数字を守っています。
 ではあとの二割は? 「大人の余裕」とか「気持ちのアソビ部分」と自分では捉えています。なかにはこれも「全部まとめろ!」とおっしゃる方もいないではありませんが、いいじゃないですか。これが僕のやり方なんですから。


 さて、今日は誕生日。まだ実感はありませんが、きっと良いことが起こると信じて一日を過ごします。いち早くメッセージをくれたオザワさん、ありがとう。


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