∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

72年前の3月10日

東京大空襲始まる】

 すでに90歳に手が届こうかという女性と話していた時、ひょんなことからこんな話になりました。

 彼女は72年前の今日、当時、本所に住んでいた彼女は妹さんを亡くされました。

 東京大空襲が始まった日。この日から約1カ月半の間、東京(現在の23区程度の範囲)はアメリカ軍が落とす焼夷弾でほぼ全域が焼きつくされ、人々は恐怖と絶望のなかで生活することになったと伝えられています。この時、彼女は「逃げる途中で逸れてしまった妹を助けることもできず見殺しにしてしまった」のです。
 会うことは叶いませんでしたが、今日、彼女は墨田区の慰霊堂(地元の人たちの言い方に沿えば震災記念堂)にお参りに行ったことでしょう。ずっと通い続けているのですから。

 現実を直視せず、架空の情報で国民を騙し続ける情報操作を繰り返す国を信じて、食糧難と灯火管制を甘んじて受け入れるなか、タケヤリで敵機を撃墜しろという政策を守っていた結果が、焼夷弾で焼け出され、妹を亡くすという事実だったわけです。

 そんな記憶をもつ彼女は、今も軍国主義の恐ろしさ、戦争の惨めさを心の奥底にしまいこんでいます。現実の恐怖や悲しみ、情けなさをいやというほど体感している彼女は、「教育勅語」や「八紘一宇」原理に基づく大東亜新秩序の建設国粋主義がいかに愚かなものかということを熟知しています。

 今、またそんな言葉が独り歩きし始めています。どこかに日本が隠しながら抱えてきた「歪み」が表面化し始めているような気がします。なにがあっても本質を捉え、詭弁を見抜き、事実を知る姿勢を守らなければ、いつ何時、彼女の体験を我々や次の世代の人たちが味わうことになるかもしれません。
 もう一度、戦争体験者の話を聞かなければいけない時代になったのでしょうか。そうでないことを切に祈ります。

 そして、空襲で亡くなられた皆さんに改めて手を合わせます。

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