∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

ジャズライブの楽しさを知った頃

【Minoru Ozone Forever】

 「一校受かったけれど、納得できないから浪人させてくれ」。高校を卒業し、関西の美術大学に受かった僕は両親に切々と訴えて浪人させてもらうことになりました。
 そんなわけで、予備校に通いつつ美大受験用の実技トレーニングをすることになったのですが……。

 予備校に通いはじめてすぐに、僕は神戸のトアロードにあったジャズ屋でアルバイトをすることにしました。理由は、経済的に難しかったからではなく、単に「やりたかった」から。
 予備校とアルバイトを両立させながら受験に望んでいると言えば聞こえはいいですが、要はどっぷりとジャズを楽しみたかったから。早い話が「できの悪い浪人生」です。

 コーヒーを淹れ、水割りを作り、ピザを焼き、洗い物をし、そしてレコードを選び、どちらの面を掛けるか決める。つまり「皿洗いと皿まわし」の両方をやることになったわけです。勉強は授業と自宅での数時間だけですが、当時の僕はそれでバランスが取れていると思いこんでいました。

 そんな生活が続く中、ジャズ屋が終わった後に何度も通ったのが三宮のすぐ北、加納町にあったジャズクラブ「そね」でした。グランドピアノを取り囲むように置かれた客席に陣取ってピアノコンボのライブが聴けるなんて、それまでの僕には経験のなかったこと。いつもワクワク気分で訪れていました。
 ジャズと言えばレコードかラジオで聴くものだと思っていた僕にとって目の前で繰り広げれるセッションは「魅惑」以外の何物でもなかったのです。

 初めて訪れた時に教えて貰ったのが「ここは小曽根実の店だ」ということでした。時々ラジオで演奏やトークを聴いていたので名前は知っていましたが、その人がお店を持っているなんて知らなかった僕はそれだけで感心してしまいました。
 小曽根実さんか、ご子息の小曽根真さんがリーダーになったジャズセッションにはレコードでは絶対に味わえないほどスリリングでエモーショナルなものばかり。僕はジャズライズってこんなに楽しいものなんだと気がつきました。

 お店は阪神淡路大震災で壊滅し、新しく建て替えられましたが、浪人時代に聞いた「小曽根ジャズ」はそのまま記憶に残っています。

 そんなジャズピアニスト、小曽根実さんが2月15日に亡くなったというのを知ったのはつい先日。ショックでした。これからは、あのサウンドを時折思い出すことしかできなくなったのです。

 小曽根実さん、僕にジャズライブの素晴らしさを教えていただき、ありがとうございました。できることなら、これからは天国からジャズを聴かせてください。

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