∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 日本語の用法は百花繚乱 ≡≡

これこそ言葉が生きている証拠

 数週間前、ちょうどクロくんが交通事故にあった頃の話です。東京新聞電子版のコラム『筆洗』で国語審議会が発表した日本語の現況についての記事が掲載されました。

 要約して引用させてもらうと
─▼明治時代の国語学者の間では、もともと江戸時代の歓楽街で使われていた「です・ます」体は下品なので紳士は使わないほうがいいという意見が主流だった。▼昭和30年代になっても眉をひそめる国文学者がいた。▼ところが今ではその立場が逆転して、官公庁文書の文体に望ましいと考える人が圧倒的に増えている。▼言葉の使い方は例年通り興味深く、本来の意味と異なる意味に捉えられているものが散見する。─
というものでした。

 今でこそ確たる市民権を得ているように思われている「です・ます」体、つまり「敬体」も明治時代には下品な文体だったんですね。まあ、今でも新聞・雑誌ともに「だ・である」体、つまり「常体」が主流ですけどね。

 しかも、日本には法律の条文、霞が関語のように「こう書かねばいけない」とされている文法もあります。もちろん文系と理系の用語遣いの違いも厳然と存在します。
 マンガやライトノベルなどで多用されている言葉遣いやテレビのテロップまで含めるとまさに百花繚乱。安直にどの文体が正しいとは言えないのが実情でしょう。 

 だからこそ、時代を牽引する生き生きとした言葉遣いが生まれ、感性豊かな表現として認知されているのではないでしょうか。

 ちなみに、ウェブ上の文章は、テンポラリーなアクセス数さえ稼げればいいと考えている関係者が多く、誤用・造語・誤記など、収拾がつかないほど乱れている“論外”な存在だと捉えておけばいいと信じています。

 と、ここまで書いて自分を振り返ってみると。立派な御託を並べる前に修練すべきことが山ほどあるということを思い出しました。反省。

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