緊急事態宣言に代わる
強権発動手段とは
政府からこれからのコロナ対応についての新たな指針案が示された。
さすがに厳しい夏を越えてきただけに、保健所を含む医療体制の見直し、あるいは飲食店等でのワクチン検査パッケージの利用及び入場人数制限の緩和については、それなりに練り込んであるように感じたのだが、こと緊急事態宣言の取り扱い方については、どうしても理解できなかった。
今日発表された案では「たとえ再度感染拡大が起こって緊急事態宣言を発出しても営業時間の制限以外、検査証明があれば入場制限などは行わない」というではないか。
どうして緊急事態宣言が発出した場合でも検査証明さえあれば入場制限を変更しなくていいのだろう。
たしかにそのほうが目先の経済活動への影響は少なくなる。しかし、大所高所な視点から捉えた場合でもそれでいいのだろうか。
そもそも緊急事態宣言は、強権発動せずに感染拡大を抑止させようとした日本独自の“最終兵器”だった。
ほとんどの国民は、そんな国の意図を汲み取ったうえに自主的な判断を加えて何もかもを自粛してきた。それもこれも、初めて聞いた緊急事態宣言という言葉がいかに重要な事態を表していると認識したからだ。
経済状態の維持を優先させたい国はこれを機に、緊急事態宣言という“最終兵器”を無力化させようとしているのだろうか。
それとも、感染症関連の立法の目処がついたので、もう緊急事態宣言という制度を使わなくとも構わないということなのだろうか。
この件、しばらくの間、進捗動向を見つめていたほうがよさそうだ。
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[season12/1112/24:55]
『立冬』‥冬間近。小春風と競い合っていた木枯らしが冬を運んでくる
photograph:ikenohata, ueno, tokyo
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