∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 鉄道誕生150年 ≡≡

想像を絶する明治の覇気が
今の日本を創った

 明治5年10月14日。東京新橋(のちの汐留貨物駅)と横浜(現桜木町駅)の間に日本ではじめての鉄道が開通した。

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 明治維新からたった5年。世の中には江戸時代の名残りが色濃く残っていたはずだが、幕藩体制と旧習のすべてを作り変えようと奮闘していた明治政府は、鉄道敷設は日本を変えるために欠かせないと決断した。線路敷設の測量を明治3年に始めてからたった2年で開通させたのだ。
 当初の組織の制度設計では、経営権の確保を条件としたアメリカの案を退けて、イギリスに資金援助と知識許与を依存する決定を下した。
 その後、エドモンド・モレル氏が建築師長として就任し、機関車などの一部の設備を除いて可能な限り自国生産を目指し、新たな産業までも勃興させる一大事業がはじまった。

 海軍省の敷地内を通過することになる陸路の線路敷設は拒否するとした勝海舟の主張を聞き入れて「陸がだめなら海の上を通せばいい」と考え、品川沖と桜木町沖に海上築堤を建設し、その上に線路を敷設するという奥の手を考え出し、建設を進めたという逸話も残っているが、結果的に、日本の鉄道は世界でも珍しい“海上数メートルを走る鉄道”になったわけだ。

 ちなみに、新橋を発車する一番列車には明治天皇もご乗車され、50数分で横浜に到着、記念式典にご臨席後、新橋へお帰りになった。明治天皇からは、この日の体験を通して、鉄道の意義を高く広く日本国民に知らしめるおことばを頂戴している。

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 私は鉄道マニアではない。日本の鉄道史のなかで興味のあるのは明治維新後、想像をつかないほどの変貌を遂げた日本の姿と、それにまつわる人物のエネルギーや夢、事業を実現させるために絞った知恵の数々である。

 鉄道建設は、明治政府が誕生してから2年後には始まっていたという。「これからの日本には鉄道が必要だ。経営を他国に頼ることなく建設し、新たな産業も生み出そう」という潮流を汲み取って、計画立案から3年後には開業してしまうとは途轍もないエネルギーである。
 現在、これほどのエネルギーを注ぎ込むような事業が存在するだろうか。ひと言で「明治という時代背景の為せるワザ」とは言い切れない“なにか”があるように思えてならない。

 途方もないエネルギーとすべての知識を吸収しようとする姿勢が生み出した数々の知恵。将来の繁栄を見越した決断。今の日本の礎を築いた明治の人々の卓越した能力には脱帽するしかない。
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[season12/1014/25:40]
寒露』‥冷気が漂い、草木に冷たい露が降りる頃。冬鳥の第一陣。
photograph:AIRFLIGHT by SKYMARK AIRLINES:HND to UKB
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