負の記憶をバネにする人々と
「我知らず」で過ごそうとする人々
東日本大震災発生から12年経った。被災地では復興へ向けて今も歩み続けている。ところが、その一方では震災被害が風化し続けている。
10年ひと昔というが、あの悲劇的な災害であっても同様に惨状が忘れ去られているのだ。
未曾有の災害が起こるたびに「災害記憶を風化させてはいけない」と言われ続け、相応の取り組みも行われてきているが、現実はそう簡単なことではない。
実際に被災した人たちには、復興に向けて邁進するするためには、悲惨な記憶に囚われ続けるよりも、当時の記憶を、ある種のバネにしようとする人たちがほとんどである。
そんな人たちは、肉親や知人などいつも触れ合っていた人との別離、慣れ親しんできた風景や音や空気感といった忘れたくない記憶が失われてしまった喪失感を心の奥底に仕舞い込んで、前向きであろうとしている。けっして忘れたわけではない。風化させようとしているわけではない。辛さや苦しさを乗り越えるためには負の記憶をバネにするしかないのだ。
一方で、実際に被災した人たち以外では「もう忘れた」とか「思い出したくない」、あるいは「当時のことは知らない」という人たちが増えていくのも事実である。そんな“無事だった人々”の間から『風化』は進んでいく。
ヒトは自分に直接関係のなかったことは次々と記憶の引き出しに仕舞っていくものだが、それが極まると「我知らず」になってしまう。当然、未知の災害に対する備えもおろそかになりがちだ。
災害の記憶は『風化』させてはいけない。
そのためには、たとえ地道な取り組みであっても、「より現実的なシミュレーション」や「記憶の呼び覚まし」を提供し続けなければいけないのだろう。特に災害の恐ろしさを知らない層に対してはクドいほど知らせていく必要があるだろう。
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[season13┃11 Mar. 2023┃12:50 JST]
┃HANA-CHOUZU(Floating flower)┃
Ueno toshogu, Botan-en Photographed on 28 Jan. 2022