∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ お待たせいたしました ≡≡

動作と視線が心に刺さる

 いつもどおりの食餌時間が狂いはじめて3日。居付き猫たちの待ち方にも変化が出てきたようです。

 いつもなら、食餌準備の音が聞こえてから窓からドドドッと入ってくるのに、今日は全員が狭い我が家の中で“お待ち”になっていました。
 僕の顔を見た途端に声を掛けてくるもの、足元をスリスリし始めるもの、パンツによじ登ってくるもの、ジッと見つめたまま動かなくなっているもの、空っぽになったエサ箱の中で目をつむって座っているもの……。

 スタイルは様々ですが、要は

「おなかが空いたから早くゴハンちょうだい」です。

 ちょっと遅くなっただけなのに、ここまでクレームが来るとは思ってもみませんでした。まるで「夕方のこの時間は食餌準備でしょう」と責められているような気分です。
 ご近所のお宅数軒を巡回しながら生きている居付き猫なんだから、こういう時はそれなりに工夫してくれればいいのにと勝手に思い込んじゃいけないんですね。
 まあ、準備が終わり、彼らがガツガツ食べているところを見ていると、それだけでホッコリ出来るからいいんですけどね。

 さあ。御飯が炊きあがれば僕の食事時間です。やはり食餌係は後回し…、ですね。

[3228]

≡≡ 本日も他力主導型 ≡≡

見直せ、自分中心のぬるま湯状態

 自分なりのペースで過ごせる期間が長くなってきたせいか、落ち着いた時の流れが断ち切られることに順応出来なくなっているのかと思うような一日になってきました。

 「受動は最小限に。能動は最大限に」とばかり、自分なりのペースを最優先してきた立ち位置に変化が起こってきているようです。いいですねえ、こういう状態。どんどん崩してくださいと言いたいところです。

 次から次へと押し寄せてくるモノゴトに精いっぱい応えることが自分に与えられた使命と心得て毎日を過ごしていた時代の反動から、これからは自分のペースを優先させると決めて10数年。融通の効かない人と言われることさえ、ある種の快感と感じてきました。
 そんな僕にとって今週のような“他力主導型”は、緊張感や刺激を呼び戻すものでもあり、「もう、あの時代のようなストレスフルな状態には戻りたくない」という怖さを感じることでもありと、複雑な感情を呼び覚ますものです。

 当時と比べれば比較にならないほど気楽な身の上だというのに、ちょっと時間割が変わっただけでアタフタするとは思ってもみませんでした。きっとぬるま湯状態に慣れきってしまっているんでしょう。
 時間割が変わるんだったら自分の立ち位置だって変えて当然じゃないかと思い直さないといけないようです。

 さて。もう一度出掛けます。

[3227]

≡≡ 不規則な時間割 ≡≡

“読めない”時間割こそ大歓迎

 “時間だけは自由”な身になって数年。居付き猫たちの食餌準備のために毎日夕方は我が家にいるようになって約2年。
 遅寝早起きが当然だった以前の自分とはまったく違う生活リズムで過ごし「規則正しい時間割で過ごすのも悪くない」と感じはじめていたのに、今週は午後遅くから夕方に掛けての予定が何日か入ったためにそんなリズムが崩れそうになっています。

 時間割にしても過ごし方にしても、周囲からの拘束が最低限になり、ある程度は自分で時間調整できることを言い換えると“ぬるま湯状態”だと信じている僕にとってはここまでの状態が崩れることは大歓迎すべき状態だと感じています。

 周囲の方からは「振り回されるのがそんなにいいことか」という声が聞こえてきそうですが、「そうでもないぞ」と感じている自分がここにいます。

 ここ数年の僕は、振り回されることで生れる緊張感は何物にも代えがたいと気づいてはいても、穏やかに時間が過ぎていく心地よさに甘えているほうが気楽でいいと思うことが多々ありました。いわば、現実逃避してきたわけです。
 そんなぬるま湯状態で過ごしてきた僕にとって、今週のような不規則な時間割は、そんな自分に喝を入れるための刺激剤になるはずと期待しています。

 ちなみに、いつもの食餌時間になっても食事係がいない現実を突きつけられることになる居付き猫軍団からは不平不満が出るはずですが、できるだけ“ご迷惑”をお掛けしないように心掛けることで納得してもらうしか手はないようです。なにしろ言葉で言い聞かせることが出来ない相手ですからね。

 さて。それでは先を急ぎます。ハフッ。

[3226]

≡≡ 報道の基本を見直す時 ≡≡

メディアに求められる
時代に合わせた倫理観

 死者35名・負傷者34名。2019年7月18日に起こった京アニ放火テロは歪んだ怨念に支配されたひとりの人間が引き起こしたものでした。
 最初に報道に接した時は、なぜ起こったのかも判らない状況でしたが、警察や消防から発表されるコメントをメディアが発表するたびに“狂気の放火”だったことが判ってきました。

 と、ここまでなら「お約束」の振り返りですが、今回は定番的なメディアの取材姿勢に大きな波紋を投げかける事態が起こりました。

 死亡者の氏名を公表してくれるなと京アニ側が警察に申し入れたところ、メディアから「公表しないとは何ごとだ」的な声が上がり、最終的に公表されたのはすべての葬儀が終わってからだったのです。

 そんな今回の申し入れを知り、僕は「なぜ氏名を公表する必要があるんだろう」と取材の基本そのものが時代にそぐわなくなっているのではないかと疑問を抱くようになっています。

 たしかに、僕も阪神淡路大震災東日本大震災の時には新たな死亡者が発表されるたびに知り合いや友人のなかに被害者がいないことを願いながら、テレビの画面をじっと見つめ続けました。

 しかし、今回は状況が違っていたと僕は感じています。「京アニの製作者が被害にあった」という事実だけで済んだことではなかったでしょうか。
 メディアは被害者の氏名を知って何をしようとしたのでしょう。葬儀の取材をして参列者の涙混じりのコメントを聞き出す? 家族から喪失感に溢れたコメントを聞き出す? それとも、周辺取材を繰り広げて被害者を美化する?
 どれもこれも、本題から外れたものばかりです。もしそうではないと言うのなら、氏名を知ることでメディアが何を得るのか、知らされる一般市民にどれだけの意味があるのか、教えてもらいたいところです。

 今回の「氏名非公表問題」は、従来のように「報道をエンターテイメント化」して自らが注目を浴びようとしてきたメディアの姿勢は絶対的なものではないと問題提議しているのではないでしょうか。
 ─公表された氏名をもとにした興味本位の覗き見取材など必要ない。もっと大所高所にたった報道に接したい。─
 事件そのものの取材が“浅く”なると感じる取材者もいることでしょう。なかには際どい取材で功を上げたいと思っている取材者もいるかもしれません。
 しかし、被害者の尊厳を守りつつ、事件の根本や社会に蔓延した闇を掘り下げた周辺取材のほうが“深い”取材になるのではないでしょうか。もちろん、取材者の技量や根気やフットワークの良さなどが問われることになるでしょうが。

 大規模自然災害のように真摯な態度で関係者の氏名を知りたい場合でも、報道が独り歩きしないような高い倫理観と節度が求められる時代が来たのではないでしょうか。

[3225]

≡≡死してなお輝く無名の表現者≡≡

携わった作品とその業績は永遠に

 たとえばモーツァルトは楽譜を残し、ダ・ヴィンチは絵画・工芸など数多くの作品と文献を残しています。美術、音楽、文学、映画、工芸……、どの分野でも、それを作り出した表現者は亡くなったあとに“作品”という名の“分身”を残します。近代になって映画のように多くのスタッフが製作に携わる表現物が一般的になると、監督以外のスタッフのなかにも、伝説に残る表現者としてそのシゴトが後世に伝えられる「無名だが秀逸な表現者」が表れてきました。
 多くのスタッフが携わる雑誌やテレビのような、厳密には表現物と言いづらいものや、工業製品の試作品製作に挑み続ける職人のなかにも、卓越した技能とずば抜けた感性をもった「無名だが唯一無二の人間」がいるものです。

 そんな無名の表現者は、一つひとつの作品の中に「自らの名前が衆知されていないだけの名作」を残すものです。言い換えれば、その人は製作集団の代表者として名前を残すことはなかったけれど、人の心を揺り動かす作品創りに欠かせなかった人間として名を残すわけです。

 京アニ・テロが起こってから1カ月以上が過ぎました。四十九日の法要も終わり、残された方の中にもそろそろ気持ちの整理をし始めようと心を奮い立たせていらっしゃるのではないでしょうか。

 思いも寄らなかったテロ行為で命を落とし、その才能が熟成されていったであろう年月に突然終止符を打たれた30数名のアニメ界の天才たちはいま天国で安らかに眠られていることでしょう。

 残された者は改めて作品を見ることで、その秀逸なシゴトぶりを窺い知ったり、人となりを思い出したり、そのたびに亡くなられた方と触れ合いながら、記憶を掘り起こしつつ、新たな記憶の断片を発見することになるでしょう。

人は亡くなりました。
しかし、作品は永遠に残り、
製作者の業績も語り継がれます。

 京アニ・テロで亡くなられた皆さん。永遠に続く時の中で、どうぞ安らかに眠られますように。合掌。

[3224]

≡≡ 再現・梅雨の終盤 ≡≡

ジメッとしているだけでウンザリ

 時折パラッと雨が降ってくる曇り空の一日。気温も湿度も高くて、蒸し暑さに閉口してしまった金曜日でした。
 短かった梅雨を今ごろになって帳尻合わせをしているのかとお天気の神様を恨んでしまいそうです。

……………

 ここ数年、季節感を実感できる“らしい時期”が短くなり、僕が子供の時から体感してきたリズムが通用しなくなっています。地球温暖化の影響という声が高くなり、対症療法的な策は講じられているようですが、現実とは掛け離れていると感じられてしかたありません。なにしろ「今、生きる」ことしか即対応できる方法はないのですから。

……………

 それはそれとして。

 今日のような梅雨が再現されたような天気、なんとかなりませんか。ジメッとしているだけで、気持ちまで落ち込んでしまいそうです。

[3223]

≡≡ 一喜一憂 ≡≡

予測厳禁。現実優先。

 期待していたものが実現しなかったり、期待していなかったものが実現しそうになったり。人生って不思議なものですねえ。

 自信をもって取り組んできたのに、素気ない返事が返ってくることが続いてウンザリしても、気持ちを入れ変えて自信喪失に陥りそうになっている気持ちを奮い立たせて次の目標に進む。

 こんなアップダウンを何度も繰り返しているうちに、失意に対する免疫まで備えてしまったような気がしています。よく言えば“図太さ”、悪く言えば“図々しさ”とか“面の皮が厚くなった”と言われていることです。

 今週は「上に行ったり下に行ったり」の一喜一憂する事柄がやけに多いように感じています。
 よく言われることですが、「きっとこう進むな」とか「こうなるといいな」という予測や希望ほど不確かなものはありませんね。常に「現実優先、成り行きを見守る」姿勢なら平常心も保たれるはずなのに、修行の足りない僕はついつい“それ行けモード”になってしまうんです。
 まあ、目の前にぶら下がったものに一喜一憂し続けて気持ちに刺激を与え続けるのもいいですけどね。

[3222]

≡≡ 静かになったぞ、今のうちだ ≡≡

お腹いっぱいで外出中

 毎日、食餌時間が近くなると僕のコンピュータデスクの上は猫だらけになります。今日は3匹が僕の顔をじっと見つめながら僕が動き始めるのを待っていました。

 モニターを見ることが困難になり、テキストエディターには妙な文字がズラッと並び始めると、さすがに作業を中断してアタフタと食餌の準備に取り掛かります。
 まあ、休憩時間を知らせてくれるのでいいと言えばいいのですが、集中しているときなどは迷惑千万な時間です。

 そんな彼らも食餌が終われば口元を舐めながら外に出ていきます。トイレ、散歩、警戒……。それぞれがそれぞれの目的で出ていってくれるわけです。

 そんな静かな時間が今。

 腰折れした仕事はともかくとして、今のうちにブログだけはアップさせてしまいます。そうでもしないと、彼らが帰ってきてまたデスクの上が猫だらけになりかねませんからね。

 オッと。子猫たちが帰ってきました。

ベッドの上からチラチラとこちらを伺っている彼らの不穏な動きに備える時間になってしまったようです。

≡≡ 気温より湿度 ≡≡

夏を振り返り、秋に思いを馳せる

 このところしのぎやすい天気が続き、先週までの暑すぎる夏がウソのように感じています。

 ところで、今年の夏は、陽射しの強さよりも、汗だくになる不快感のほうが強かったと思いませんか。
 肌を刺すような陽射しが降り注いでも、湿度が低くカラッとしていれば心地よいものです。ところが今年は、まるでスチームサウナの中にいるようで、湿気をたっぷり含んだ熱気が身体を包み込むような日がずっと続きました。

 これでは、いくら夏が大好きなオッサンでも体力的にも精神的にもぐったり。ひょっとすると気力が萎えていたのもこの天気のせいだったのかもしれません。

 秋の出番が遅くなって、晩夏の心地よさを堪能したいと思っているのは僕だけではないと思います。

 ─暑すぎた真夏を振り返りながら、快適さと寂しさが同居する秋に思いを馳せる─

 こんな情緒的なことを考えられるようになったのも齢を重ねてきたからでしょうか。

[3220]

≡≡ 元気なのは本体だけ ≡≡

キーボードとモニターが
ついに修復不可能間近に

 誰かがツメを研いだために剥ぎ取られた「6」のキーをもう一度嵌め込んで、だましだまし使ってきたキーボード。10円玉大に大きくなったブラックホールと1円玉大のブラックホールが重なり合って出現しているモニター。
 どちらもさすがに修復不可能と判断せざるを得ない状態に近づいてきたようです。今のところ、我慢と工夫で使っていますが、終末が訪れるのも時間の問題ではないかという予感がしています。

 キーボードでツメを研いでもいいから、キーの下に入っていたシリコン製のクッションを噛んでぼろぼろにしてくれなければ、いつものようにカチッとメンテナンス出来たはずのキーボード。
 画面に向けてオシッコをするクセを直してくれれば、ファブリーズで拭き取ることもなく、液だれが液晶を痛めつけることもなかったモニター。

 コンピュータデスクの下に格納している本体に被害がないのだけが不幸中の幸い。本体さえ元気なら、デバイスは買い換えればリフレッシュできますからね。

 僕だけが我慢と工夫をすればいいんです。キーボードとモニターを買い換えればいいんです。なにひとつ居付き猫たちに罪はありません。

 と、ここでは大人の対応をしておきましょう。本当は「やっってくれるワ! どうするんだよ!」と言いたいところですが。マッ、聞いてくれないでしょうね。

[3219]

≡≡ ちょっと緩めすぎたかな ≡≡

“何もしない日”の最終日。

 遅く起きて、ゆっくりと朝食とシャワーを済ませ、またひと寝入り。起きたら昼食とスーパーへ。夜になればテレビを点けたままウトウトする。
 いいですねえ。このダラダラ感。充分すぎるほどリラックス出来ました。

 ただ、ちょっと気を抜きすぎたようで、いくつも必要なものを買い忘れました。特に猫用サラダチキンの買い忘れは猫軍団ご一同様からかなりの不評を買うことになってしまいました。

 「かあちゃん」は目をつむったまま動かなくなってしまったし、クロちゃんはブーブー言っているし。子猫たちは食卓に上がって彷徨いているし。こういう時くらいキャットフードのおかわりをしてくれればいいのに……。わかったヨ、明日買ってくるから。ちょっとくらいボケたっていいじゃないか。

 マッ、こんな具合です。
 仕事や日常のウサから離れるのはいいとして、食べ物まで忘れてしまうとなると、ちょっとボケすぎたのかもしれません。
 自分でものんびりしすぎたと思っているので、ここで宣言を。

─明日からはシャキッとします……、いまのところは─

 ということで、明日からの一週間が素晴らしいものになりますように。おやすみなさい。

[3218]

≡≡ クールダウン継続中 ≡≡

現在、気持ちよく充電継続中

 予想外の時間割になってしまい、アタフタと過ごした先週。この週末はクールダウンとエネルギーの充電に費やすことに。
 状況を自己分析するとクールダウンは80%程度。エネルギーの充電率は20~30%といったところ。早い話が、いまだにスッキリしていないわけです。

 実は僕、“何もしない日”の効用というものをずっと知らずに過ごしてきたのです。それを知ったのは数年前でした。
 休みの日でも何かやらなければと思い込み、強迫観念めいたものが頭の片隅から離れなかったのですが、ある時、勇気を出して何もしない日を作ったところ、ガサガサになった気持ちはスーッと落ち着いていくし、ヨレヨレになっていた身体もシャキッとするし。一日でリカバーできたのです。

 “何もしない日”がこんなに気持ちのいいものだと知らなかった僕は、驚くと同時に今までの自分の生き方を悔やみました。

何もしないからこそ、
大切なものを得ることが出来る。

 “何もしない日”の効用を知ってからの僕は、アタフタした日々が一段落すると必ず空白の一日を作るようになりました。

 時折歩みを止めるだけで、ある種の開放感を取り戻せるなんて素晴らしいですね。存分に活用させてもらいます。

[3217]

≡≡ 今週は時間の進み方が早かった ≡≡

予想は大ハズレ、でした

 金曜日の夕方。今週中にやるべきだったこともようやくやり終えました。

 心地よい疲労感と達成感は感じています。

 しかし、時間の進み方が早すぎたことと勉強がまったく進まなかったことは誤算でした。もう少し余裕があると思っていたのにアタフタと時間が過ぎていったのには自分でもびっくり。ちょっとペース配分が変わっただけで、ここまで時間感覚が狂ってしまうなんて思ってもみませんでした。

 一旦「何もしない時間」を作ったあと、週末中に仕切り直して、アタフタするのが普通だと思えるように調整します。まあ、時間割なんて気持ちの問題ですからね。

 ということで。皆様、充実した週末を。僕はユルダラ系からピリシャキ系に移行させながら過ごします。

[3216]

≡≡ 秋が始まる日 ≡≡

年中行事で決める季節の変わり目

 奈良東大寺のお水取り。高校野球の決勝戦。そしてお酉さま。僕は季節の変わり目を年中行事で感じてきました。

 『お水取り』が終われば春がやって来て、『春の高校野球』が終われば春が本格的になり、『夏の高校野球』が終われば秋が忍び寄ってくる。そして『お酉さま』が来れば本格的な冬になる。こんな感じです。

 今日、酷暑の中で行われてきた全国高等学校野球選手権大会が終わりました。というか「甲子園の夏」が終わったのです。

 暑さが続く中まだ実感はありませんが、高校野球が終われば夏が終わり、明日からは秋が忍び寄ってきます。そして、しばらくすると僕は「まだ夏のままでいてほしい」と言い始めるはずです。なにしろ大好きな夏が去っていくのですから。

[3215]

≡≡ 久々のおこもり状態 ≡≡

“外気に包まれたい病”再発か

 起きてから今まで一歩も外に出ていません。どんなにやることがあっても、たとえコンビニに行くだけでも、とにかく一日一度は外気に包まれるようにしたいと願っているのに、出られないなんて。

 ここ数年は、外気に包まれるを目標にして暮らしてきたのに、今日は一日“おこもり状態”に。つまり、ずっとキーボードの前にいるわけです。おまけに、一段落ついたと思ったら雨まで降ってきました。

 今、僕は“外気に包まれたい病”の初期症状に陥っています。つまり、イライラ、ウズウズのの一歩手前にいるわけです。

 さてもう少し。やるべきことをやり終えたら、一度外に出てきます。昔のように室内に縛り付けられるのはコリゴリですからね。

[3214]