∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 今季最強・過去最多 ≡≡

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寒さとコロナ禍

 ……今日は寒かった。夜になればもっと冷え込むだろう。
 ……今日は東京都のコロナ感染者が過去最多の678人を記録した。

 寒さにめっぽう弱い私だが、自然の為せるワザに逆らえるわけもない。ひたすら防寒に努めるばかり。とりあえずは厳寒期仕様で乗り切るしかないだろう。

 それに対して、勢いの止まらないコロナ禍には呆然としてしまうばかりである。政策、個々人の予防策など人為的にコントロール出来るところも多いはずなのに、感染拡大が止まらない現況は脅威以外の何物でもない。

 強力な寒波と抑えきれないコロナ禍の波。この年末は、今年の振り返りと来年への下準備に加えて、強力な寒さとコロナ禍の対策まで気を使わなければいけないようだ。

[1216 - 3692]

≡≡ Go To一時停止 ≡≡

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やっと一歩前進、だが医療現場は……

 Go Toトラベルが12月28日から一時停止することになり、世の中では賛否が渦巻いている。感染者増や国民の声を反映させた結果ということらしいが、新型コロナウイルス感染症対策分科会や日本医師会があれだけ一時停止を訴えていたのは反映されなかったようだ。
 ともあれ、医療分野の危惧よりも、経済崩壊の防止こそ優先すべきものとする国の姿勢が、ようやく動いたといってもいいだろう。

 やっと一歩前進した。遅きに失した対策ではあっても、ある程度の効果が出ることを期待するしかない。

 一歩前進といえば、医療従事者への金銭的なケアも同時に発表されたが、実際にコロナと戦っているドクターやナースの皆さんが両手を揚げて歓迎しているとは思えない。「人がほしい。休みがほしい」と悲痛な叫びを上げている人にとってお金は二の次の問題なのではないだろうか。

 いわれなき差別。危険な職場。体力的にも精神的にも過重な労働。限りあるヒューマンリソース。
 お得意の精神論でもいいから、制約でがんじがらめになっている専門職に、束の間の安息とリフレッシュの時間を与えるための指針は出せないのだろうか。

 今こそ経済に力を与えるのは医療の力しかないと立ち位置を変える時ではないだろうか。従来の経済と医療を縦割りに捉える発想を変えて、経済と医療を横串に捉えた発想が出てくる日を願うばかりである。

[1215 - 3691]

≡≡ 『密』 ≡≡

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コロナの年の「今年の漢字
今年のセリフなら
『おのおの方、ご油断めさるな』

 例年通り、今年の漢字が発表された。

 『密』

 納得の選択である。

 コロナ禍の生活は密閉・密集・密接を避けることからと否定的な使い方で「三密」という標語が言われはじめて以来どれだけこの漢字に触れてきたことか。これほど継続して触れてきた漢字も珍しいのではないだろうか。
 1位の『密』以下5位までの漢字を見ても「禍」「病」「新」「変」……とコロナ絡みの字ばかり。まさに世相を表した結果になっている。


 ところで。

今年の漢字は『密』だったが、私家版ながら今年のセリフを選んでみた。

 『おのおの方、ご油断めさるな』

 大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのが12月14日。つまり、今日である。
 仮名手本忠臣蔵の中で、討ち入り直前に大石が四十七士に向かって語りかけた名セリフだが、今年に限っては、コロナ禍への注意としてもこのセリフが使えそうである。

 コロナに慣れることなく、常に注意を怠らず。

 いかにも年寄りくさい選択かもしれないが、感染拡大を予防するためには「ご油断めさるな」こそ適切と考えている。

[1214 - 3690]

≡≡ 慣れとは怖いもの ≡≡

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コロナと共生する時代だからこそあえて言いたい

 3週間ぶりに日曜日の街に出掛けた。
 思った以上に人出のある駅周辺を通り過ぎて、静かな町並に入ったときに全身の力が抜けていくような不思議な感覚に陥ってしまったのは、どこかに自覚していない対コロナの緊張感があるからだろうか。

 人混みを避けるだけでは気が済まず、周囲の人たちがマスクをしているかをチラチラと確認しながら過ごす生活を送っている人間がいるかと思えば、混雑した所でもノーマスクで談笑していて平気な人もいる。

 コロナと共生と言われ始めてから数カ月。市井の人々の間でコロナに対する温度差が大きくなっているようだ。

 私はこれまではコロナ対策を無視している人たちのことを、単に強がっているだけの輩と感じていたが、どうもそうではなくなったような気がしている。コロナ禍が続き、この状況に慣れてしまった人が増えているのではと思うようになっっているのだ。

 人の本能には、災禍の中にいればいるほど、降り掛かる災いをイベント的に捉えて、受容できる緊張感をコントロールしようとする一面があるのかもしれない。

 確たる対策も打ち出されないまま感染拡大が続いている今、一番怖いのはコロナウィルスそのものではなく、人がコロナに慣れ、その脅威をなんとなく受け入れてしまうことなのではないだろうか。

 こんなときだからこそあえて言わせてもらおう。

 「慣れるな」。

 コロナは今も未知の脅威であることは変わっていない。

[1213 - 3689]

≡≡ 必要なのは生活感ある政治感覚 ≡≡

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政治に不可欠な感覚を
見せつけられた演説

 コロナによって毎日500人以上の国民が亡くなっているドイツでメルケル首相が議会で行った演説を知り、政治に不可欠な感覚を改めて知らされたような気分になっている。

 「クリスマスシーズンを楽しむ代償に1日に590人が亡くなるというのは、私には受け入れられないことです」。
 「クリスマス前に多くの人と接触し、その結果、祖父母と過ごす最後のクリスマスになってしまうようなことは許されない」。

 クリスマスを目前にして、コロナの恐ろしさや対処方法や厳しい対策を、感情もあらわに演説する姿は議会でも称賛を得たようだ。

 コロナ禍が広がるにつれ、ニュージーランドのアーダーン首相や台湾の台湾の蔡英文大統領といった女性政治家の統率力の高さに注目が集まっている。女性への偏見という“ガラスの天井”を突き破ってトップに就いた人だけのことはあると評価する人もいるが、私は今回のメルケル首相の演説を聞いて、3人のトップリーダーに共通した政治感覚があるのではと思うようになった。

 3人共、国民に対するメッセージのなかに“生活感”が色濃く反映され、政治的な駆け引きや勢力分析などが入っていないのだ。
 いかに安全保障や経済の安定が重要だとしても、まずは国民目線でモノゴトに対峙しようとする姿勢は日本のトップリーダーには見られないものである。
 日本では神聖な国政の場に生活感や個人的な感情は持ち込まないのが一般的。たとえコロナ禍と言う危機のなかでもその姿勢は変わらない。

 日本的な政治フィルターで国政をコントロールするとしても、時と場合と限度というものがある。いまさらかもしれないが、コロナ禍の影響を最低限に抑え込むために不可欠なのは国民と同じ目線に立った生活感ではないだろうか。

[1212 - 3688]

≡≡ 混乱の極地にあり ≡≡

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国がそう感じていると願いたい

 コロナ禍に対応するための「勝負の三週間」という号令が掛かって2週間以上が経過した。Go Toトラベルは継続させたままでも感染者が減少するという想定で始まった“勝負の時”だったが、結果は思わしくない。いや、はっきり言って“負け”である。

 個人的には、勢い込んだ掛け声ばかりが目立ち、腰の引けた支援策しか提示されなかったのが負けの原因だと思っている。

 まさか国政を担う政治家や官僚が「日本の場合は、誰もが理解できる具体的な支援がなくても、お願いベースの対策を何度繰り返しても大丈夫だろう」と考えていたわけではないはず。二度目以降のお願いは一回目よりお願いされる側のメリットがなければ効果はないという一般法則を知らなかったとは想像し難い。

 たしかに飲食業や観光業は裾野が極端に広い産業のため、川上を潤さない限り川下は干上がってしまう産業である。普段は目に見えない業者や生産者まで含めれば、非常に多くの人々がホテル・旅館や実店舗の売上に頼っている。Go Toキャンペーンはそんな隠れた存在の人々の生活まで見据えたものだったと思う。

 しかし現実は、コロナと経済の両方から重篤な罹患宣告を受けそうな状況に陥っているのではないだろうか。このままでは“コロナと共生”という掛け声が負の言葉になってしまうかもしれない。

 こうなってくると、満足な支援や眼を見張るような施策が取れないが、ここを乗り越えれば、数週間後にはこういう未来が見えてくるというような夢物語でも構わないのだ。切実な思いを込めた施策や訴えで国民を誘導しなければ、国と国民との距離は益々離れていくばかりである。こんな国と国民との間で起こる“三密回避”だけは御免被りたい。

 国は今が混乱の極地にあるということを自覚しているのだろうか。

[1211 - 3687]

≡≡ 感謝の言葉に違和感あり ≡≡

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言葉は免罪符ではない。
本当の感謝は態度で示すもの

 今日、東京のコロナ感染者が初めて600人を超えた。全国的にも感染者の増加が止まらなくなっている。
 毎日のように過去最多という言葉を聞くようになってから特に、医療従事者への言葉によって感謝の意を表する行動が増えてきている。

 実は、この感謝することに文句を言う筋合いはないが、どこかに違和感を感じるようになっているのだ。

 言葉というものは便利なもので、本心は隠して表面的に取り繕うことだって簡単に出来る。この医療従事者への言葉も例外ではないだろう。

 医療従事者が本当に望んでいるのは、市井の人々全員が常に感染予防に心掛けて、医療環境に未曾有の大混乱や経験したことのない危機を招かないようにしてほしいということではないだろうか。つまり「罹るな!、予防しろ」ということである。

 医療従事者に言葉やイベントで感謝の意を伝えることが、ある種の免罪符のようになってはいないだろうか。

 切羽詰まった状況になればなるほど、人は本心を吐露する時、言葉よりも態度で示すようになるのではないだろうか。心の奥底からほとばしる態度や行動は、頭の中で整理された言葉よりも強い意志表示になるものである。

 感染症の治療というのは、人を助けるためにの自ら感染源へ飛び込んでいかなければできない行為である。コロナ治療も例外ではない。どんなに予防措置を取っているとはいっても、危険を顧みず闘わなければ治療にはならないのだ。

 感染症に立ち向かう医療従事者は、いわば戦士たちである。「感染しない、させない」生活を貫くことこそ、最前線にいる人々に対する真の感謝ではないだろうか。

[1210 - 3686]

≡≡ ワクチン、打ちますか ≡≡

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気が早いけれど、心づもりだけでも

 イギリスでコロナ・ワクチンの接種が始まった。治験半ばから早々と開始しているロシアや接種に近い規模で治験中の中国を除けば世界でもっとも早い対応である。
 こうなってくると日本ではどうなんだと考えてしまうが、充分な治験が行われてからでは時間が掛かり過ぎるのは素人でも分かる。緊急承認という名の見切り発車になることは目に見えている。
 このケースでも、日本のコロナ対策らしく、個人の判断が求められることになりそうだ。
 となると、一刻も早くと考える人がいるかと思えば、怖くて勘弁だと様子見を決め込む人もいるはずだ。

 コロナはゴメンだ。しかしワクチンの副反応も勘弁してほしい。おぼろげでも、そう考えている方が多いのではないだろうか。

 私は打てるようになれば出来るだけ早く打ちたいと考えている。
 比較することができないコロナの威力に対抗するには、たとえ未知数であっても、ワクチンの副反応(つまり副作用)のほうを選択しようというわけだ。
 治験が終了するまでの接種は、ある種の大衆治験とも言えるもの。誰も経験したことのないことなので不安はあるが、もし罹患しても重篤化する可能性が減るのだったら接種を選ぶのもやむ無しと覚悟を決めている。

 一応、イギリス以外の海外での結果も気にしながらということにはなるが、心づもりとしては「打つ」ということになる。
 ……、この歳になって、こんな決心をすることになるとは夢にも思わなかった。

[1209 - 3685]

≡≡ キーボードで感染? ≡≡

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あり得ることだが、そうはいっても……

 こんな報道があった。姫路市の病院でコロナのクラスターが発生したが、共有していたコンピュータのキーボードが感染元がの可能性が高い。

 たしかに指先だけだとしても触っているのだから、共有していれば感染の危険性はあるだろう。しかし、しかしである。


 報道では「ボタンに高さがあるタイプのキーボード」と伝えていた。おそらく数年前まではビジネス向けのデスクトップPCの標準仕様として付属していたキーボードのことだろう。専門用語で言えば“メカニカルタイプ”。耐久性が高く、価格も安く、修理もたやすいタイプだ。
 ちなみに、キーの高さを確保出来ないノートパソコンは、高さが低く、指のストロークが短くて軽いタッチで使える“メンブレンタイプ”か“パンタグラフタイプ”を採用するのが一般的。軽く打てるということで、今ではデスクトップ型のビジネスPCにも使われるようになってきた。


 どこにでもあるモノを触っただけで感染するとしたら大事件である。特に銀行のATMのように画面タッチに集中するあまり、アルコール消毒まで意識が回らない装置となればどうすればいいのか戸惑ってしまう。

 要は、何かに触った手で目や口を触らないことと、触った後はアルコール消毒を欠かさないことということになるのだろうが、そうはいっても……、である。

 医療従事者としては感染対策が不充分だったとしても感染源になったドクターも「たったこれだけのことで」と悔やんでいるのではないだろうか。

 今回の騒動も、当たり前だと思っていた何気ない行動のなかにも感染の危険性が潜んでいるという教訓として記憶しておこう。

[1208 - 3684]

≡≡ 大雪の候 ≡≡

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雪いよいよ降り重ねる折からなれば也
(暦便覧)

 12月7日。二十四節気では大雪の候に入った。暦便覧では「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」、一般的には「雪が激しく降り始める頃」とされる日が今日から始まる。
 ちなみに二十四節気をより細かく分けた七十二候の日本での解釈は「閉塞成冬(そら さむく ふゆとなる)」である。
 雪いよいよ降り重ね…と言われても、まだこの時期の東京で実感することはないが、そろそろ雪の準備をしておいたほうがいいというアラートと思えばすんなり納得できる。

 ところで、二十四節気や七十二候以外の暦のなかには選日(せんじつ)というものもある。この暦では、これからの10日間を十方暮(じっぽうぐれ)とし、四方八方に天地を加えた十方が閉ざされ万事が上手くいかない凶日としている。いわゆる不成就日が10日間続くというわけである。

 節気、候、選日……。昔の人はこのすべてを信じ、縛られながら毎日を過ごしていたのだろうか。そうだとしたら悠長な話である。時の流れに逆らうことなく日々を過ごすことで安寧に過ごすということであればいいのだが。

 時の流れを大幅に短縮して開発されたコロナワクチンの接種が始まろうとしていることを昔の人ならどう感じるのだろう。危険過ぎる病への対処なら致し方なしとするのか、縁起が悪いと避けるのか、タイムマシンがあれば聞いてみたいところである。

[1207 - 3683]

 

≡≡ 2週連続の寝て曜日 ≡≡

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逃げることでコロナ禍と共存する

 日曜日。これまでなら、仕事がない限り、あそこに行こう、ランチには何を食べようと計画していることが多かったが、先週に引き続いて今週も寝て曜日を決め込んでしまった。

 感染予防を徹底すればコロナは大丈夫という民間信仰を信じていないというか、それとも心のなかに気づいていない変化が起こっているのか。理由はともあれ、猫同様に日がな一日をゴロゴロウトウトと過ごす心地よさに浸ってしまったわけだ。

 出掛けないと身体がムズムズしてきそうになる性分の私にとって味わうことのなかった休日の楽しみ方である。コロナ禍がここまで拡大しなければ、こんな過ごし方には出会えなかったと思っている。

 社会との接点を失いそうな過ごし方だが、“逃げることでコロナ禍と共存する”という消極策のなかで見つけたゴロゴロウトウトの愉しさ。あまりのめり込みたくない愉しみ方を知ってしまったものだ。

[1206 - 3682]

≡≡ 真冬の兆し ≡≡

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冷気に包まれた土曜日に
コロナ禍を恨む

 今日の東京は寒かった。昨日までの穏やかな寒さとは違い、押し寄せてくるような冷気に戸惑ってしまうようだった。
 さすが12月に入ると違うものだとか、二十四節気の大雪間近ともなると寒さも本格化するものだなどとのどかなことも言っていられないほど。

 ホカホカに暖めた部屋で親しい人たちと鍋を囲むという冬の楽しみさえ制限されている今年、これから始まる極寒期の過ごし方を思い描いてみると、なんとも寂しい光景しか浮かんでこない。

 家庭内感染が増えているからといって、一般家庭では特段の予防策を取ることも難しいのではないだろうか。帰宅したときの手洗いや必要なとき以外はマスクをする程度が精いっぱいかもしれない。
 やはり家庭内にウイルスを持ち込まないためには、仕事や買い物で外を動き回っているときの意識と手立てこそ感染予防の第一。“常にうつされない行動に心掛ける”ことがすべての場面で求められているわけだ。つまり忘年会も新年会も控えろということである。

 コロナ禍の冬を迎え、改めてこの冬の過ごし方を考えてみると、理解はしていても滅入ってしまう。

[1205 - 3681]

 

≡≡ 『我慢してますかー?』 ≡≡

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次に聞きたいのは『元気ですかー?!』

 我慢の三週間真っ只中である。

 飲みに行きたい、遊びたい、どこかに行きたい。憂さ晴らしやリフレッシュはコロナ禍が落ち着きを取り戻してからと誰もが覚悟を決めている“はず”の三週間のうち一週間が終わろうとしている。

 まだ一週間ということで、我慢の結果がどうなるかはまったく予測できないが、緩んでいた意識が引き締まったことを考慮すると、個人的な希望的観測だが、年末にはコロナ禍も穏やかなものになるのではと想像している。

 「我慢してますかー」という言葉が広まるにつれ、アントニオ猪木氏が流行させた「元気ですか?!」というフレーズを思い出した。
 今の状況のなかで聞くと、このフレーズがいかにポジティブな言葉だったのかと改めて感じ入ってしまう。
 我慢より元気。いい言葉だ。ちょっと大袈裟だが、今、待ち望んでいるのはこんな明るい未来が見えてくる言葉ではと思ってしまう。

 今しばらくは我慢に徹して、新しいカタチの明るい日々がやってくることを願うばかりである。

[1204 - 3680]

 

≡≡ 風邪ですからね、風邪 ≡≡

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風邪ひとつでも説明が必要な時代

 山手線に乗って席を見つけ座った瞬間に、隣のオジサンが大音響のクシャミを放った。これまでなら「派手なクシャミだなあ」程度で済んでいたのに、氏は「風邪ですからね、風邪。安心してください」と繰り返し説明し始めたのだが、そこには、コロナと間違えられると大変だという心情が滲み出ていた。

 氏はしっかりとマスクをしていたが、それでも“ハクション=コロナ”と間違えられたら一大事とばかり、説明を始めたのだろう。
 大音響だったことも災いしたのか、周囲の乗客も理解はするけれど念のため注意しておこうというような視線を送っていた。

 私自身、今日のクシャミは音に驚いた程度だったが、街なかで救急車を見かけると「ウッ、コロナか?」と注目するようになっている。過敏な反応と言われそうだが、これだけコロナが蔓延すると、漫然と眺めてはいられないのだ。

 クシャミひとつで冷たい目で見られるのは心外とばかり説明を始めてしまうが当たり前になるなんて、なんとも住みにくい時代になったものだ。

 いったいいつになったらこんな警戒態勢から解放されるのだろう。いや、そんな日はもう戻ってこないのだろうか。

[1203 - 3679]

 

≡≡ 今日の言葉は『中和抗体』 ≡≡

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市井の民は毎日が勉強。そして混乱

 ニュースを見ていたら『中和抗体』という言葉が出てきた。どうも、コロナに罹患し、回復した人の体内に留まっている再感染させない抗体、つまりパーツのことを言うようだ。この抗体が体内に残っている割合が多ければ多いほど再感染しないということらしい。

 この言葉を聞いて「善玉コレステロールみたいなものか?」ということと「弱毒化した抗体で感染を予防するワクチンに入っているのがコレなのか?」という素朴な疑問が頭のなかに浮かんできた。

 報告によると、その中和抗体の99%以上が、最低でも、半年間は体内にいてくれるとか。まだコロナ禍が始まって半年強のため、それ以上のデータが取れないという状況を考えるとかなり成績がいいようだが、変異して弱毒化したウイルスが攻撃性の強いウイルスの動きを止めるというメカニズム自体よく理解できていない身としては「ああ、そうですか」と納得するしかない。

 振り返ってみると、最初は「マスクと手洗いが最大の予防策」ということさえ半信半疑だった。それが今や「マスクは基本のキの字」になっている。大型クルーズ船でクラスターが発生したときには「クラスターってなんだ?」と疑問が湧いたし、そもそも「清潔と不潔」というエリア区分さえ知らなかった。

 よく人生は毎日が勉強と言われるが、コロナに関しては文字通り勉強の日々。学生時代以来、これほど専門用語を詰め込んだことはないと言っても過言ではない。
 初めて聞いた時は「いったい何が何だかよく分からないが、きっとこうだろう」と推測するしかない用語ばかり。
 勉強するのは苦ではないが、混乱していることは確実。いったい、この専門用語のシャワーはどこまでいくのだろう。

[1202 - 3678]