∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ そろそろ来るかな ≡≡

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東京のコロナ急拡大はいつなのか

 今日の大阪府の新型コロナ新規感染者数は666人。お隣りの兵庫県では206人。特に大阪市尼崎市、西宮市、神戸市、明石市という芦屋市以外の阪神間で感染拡大が際立っているという。

 やはり、新規感染者数が下がりきらないうちに緊急事態宣言を解除したのがいけなかったのだろうか。
 宣言下ずっと我慢していたものが、解除された途端に糸が切れたように弾け過ぎたとか、コロナより財布と決心した飲食店が多いからだろうか。
 いや、そうではないだろう。ニュースで知る限りは東京だって同じようなものなのだから。何かほかに原因があるのではと疑問に思ってしまう。
 理解できるとしたら、積極的な検査体制を取っている神戸市の新規感染者数が感染症の理論通り高くなっているということくらいだ。

 阪神間の感染急拡大を見ていると「そろそろ東京も急拡大するのかな」と嫌な想像をしてしまう。

 コロナ禍に対する市井の人々の温度差がここまで広がってしまうと、どんな施策を取っても“増えるところまで増える”ような気がしている。「医療崩壊」という言葉が、危機感ではなく現実問題になってもおかしくないとも思っている。

 古代中国の哲学者、淮南子(えなんじ)が残した言葉に『一葉落ちて天下の秋を知る』というものがある。「わずかな前触れから将来の大きな動きを予知する」という意味だが、まさに一都三県はこの状態にあるといってもおかしくない。
 東京都全域に蔓延防止措置が発出されるのはいつなのか。その時、神奈川県や千葉県、埼玉県で発出されるのはどこなのか。その時に備えて、そろそろ覚悟を決めておいたほうがいいのかもしれない。

[0403 - 3740]

≡≡ やっと終わった ≡≡

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雑用山積み・リセット必至・明日に期待
何故か落ちつけない一日

 もう日付が変わって1時間以上経ってしまった。夕食後、ちょっとした調べ物や片付けものが重なり、いつもより動きが鈍くなるだろうと覚悟はしていたが、ここまで時間が掛かるなんて思ってもみなかった。
 その上に、居付き猫たちはいつも以上に入れ代わり立ち代わりご挨拶に来てナデナデ、スリスリを要求するし。

 今日は朝から落ち着けない一日だった。あっちでウロウロ、こっちでチョロチョロ。どこかでコーヒーブレイクしたいと何度も思ったけれど、その時間も取れず……。こんな日が来るなんて想像もしていなかった。

 まあ、仕方ない。昔の自分のように、いつまで経ってもモノゴトは成り行き次第。時間に振り回されることだってあって当たり前と思っておこう。こんな日は区切りの付いたところでさっさと寝てリセットするに限る。

 ということで。おやすみなさい。明日が良い日でありますように。

[0402 - 3739]

≡≡ 総額表示の功罪 ≡≡

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消費税は“預かり金”のはずなのに

 新年度が始まった今日、消費税の表示方法が変わった。消費者の混乱が起きないように価格表示は、例外を除いて、「税込」か「税抜+税込の併記」に限るという税法改正がとうとう実施されることになったのだ。
 そもそもは平成25年に法制化され、それ以降今までの8年間は特例措置が取られていたものが、とうとう実施されることになったわけだ。
 とはいっても、一部のネット通販は以前から税込表示になっていたし、雑誌で紹介されるものについては税込表示が一般的だったので、影響が出るのは店頭販売時の表記が中心になるはずだ。

 この総額表示、消費者にとっては支払金額がすぐわかるので便利といえば便利な制度だが、一方で、国の本心は消費税の存在を曖昧にするところにあったのではないかとも考えられる制度である。

 32年前に消費税が導入されて以来、モノを買う時には商品本体の価格にその価格に見合った消費税が上乗せされるようになった。
 その上乗せされた消費税は各企業が法人税や個人事業税とは別に決算時に国に収めることになっているのはいまさら言うまでもないだろう。
 ところが“買う側”には、いまだに「消費税は顧客が国に収める税金を小売店や企業など“売る側”が一時的に預かっている金額」という仕組みが理解できないという風潮が残っている。たとえば「消費税分値引きしてよ」という交渉テクニックはその際たるものといっていいだろう。
 今回の総額表示の義務化でも、総額だけを表示すると値上げと間違えられるのではという心配が“売る側”には多くあった。おかげで実質的な値下げになった商品もあったが、一般的には表示方法に工夫を加えて対処したという例が多かったのではないだろうか。

 アメリカのSales Taxのように$○○ with Taxとしていれば“売る側”と“税を徴収する州”の区別がハッキリとするのに、日本では「売りたい価格」と「それに上乗せされる売上税」の違いを明確にすることなく“どんぶり勘定”で済ませてきた結果が今回の総額表示ではないだろうか。

 商品の総額表示は「モノを買うたびに納税している」という意識を希薄にするにはもってこいの制度。
 これで国は素知らぬ顔で収税出来るようになる一方で、“売る側”には価格設定の見直しや交渉という新たな悩みが生まれるという図式が完成した。

[0401 - 3738]

≡≡ 3月31日年度末 ≡≡

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変わること。変わらないこと。
そして、変えてはいけないもの

 現在4月1日0時過ぎ。日付が変わり、とうとう年度末の一日も終わってしまった。

 年度末は、多くの企業人にとっては悲喜こもごもだった一年の節目の日。個人事業主にとっては“お財布事情”が変わるかどうかの瀬戸際に区切りがつく日。なかには、コロナ禍が続く今は年度末どころではないと言い切る人もいるだろうが、いずれにしても年度末は、日本で生きている限り、何らかの変化が起こってもおかしくない時である。

 この一年で何が変わり、何が変わらなかったか。これまでの常識のなかで社会情勢の変化によって浮かび上がった問題点は何だったのか。それを解決するにはどうすればいいのか。
 年度末はカレンダー上の年末同様、一年の振り返りとこれからの対策を具現化するためのアイドリング期間でもある。
 特に、コロナ禍という厄介な問題が横たわっている今を乗り越えるのは一筋縄ではいかないもの。柔軟で機転の効いた対応がなによりのブレイクポイントになるはずだ。

 とはいっても今年の年度末は、終わるどころか広がり続けているコロナ禍とどう付き合っていくのかという大命題に取り組みながら、明るい未来を模索しなければいけない日々が続きそうだ。

 さて、明日からはどうなるか。楽しみにしていよう。

[0331 - 3737]

≡≡ 黄砂、ですか ≡≡

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マスク姿なので
気付きませんでした

 「今日は東京でも10年ぶりに黄砂が観測されました」と夜のニュース番組のお天気コーナーでアナウンスされていたが、まったく気づかずに帰宅したオッサンがここにいる。頭を捻って思い出しても「そういえば、うっすらと春霞が掛かっていたかな」と思う程度で、実感はまったくない。

 黄砂というからには“黄色い砂”がゴビ砂漠から中国経由で飛んでくるのだろうと漠然と思っていたが、歩いているくらいでは判別できないようだ。特に日本まで飛来して濃度が薄くなった黄砂は、地上に積もった時点でやっと黄色い砂だと分かるくらいらしい。

 黄砂と同様に中国大陸から風にのって飛来する微粒子にPM2.5がある。
 黄砂が、たとえ無茶な森林伐採や農地転換による土地の劣化などで砂が巻き上げられた結果だとしても、遥か彼方からやって来る自然のイタズラと言えなくもない。
 しかしPM2.5となると工業製品を作る過程で出た硝酸塩やケイ素、アルミニウムなどの有害物質が風に乗って飛来するもの。健康被害を比べれば圧倒的にPM2.5のほうが厄介な存在だろう。

 ただ両者とも日本での警戒体制は予報が出る程度で危機感は低い。特に人体に影響する予防法についてはマスクをする程度だろう。

 となると、コロナ禍でマスクが必携になっている今は、黄砂の影響も限られているのではないだろうか。なにしろ、ウイルスの侵入を防ぐくらい高い能力をもったスグレモノをずっと着けているのだ。花粉症の原因である花粉にだって効果があるのだから、粒子の大きな砂粒くらい簡単にブロックしてくれるはずだ。

 たかがマスク、されどマスク。黄砂の飛来でまたひとつマスクの効用が増えたような気がする。

[0330 - 3736]

≡≡ こめかみからツツツー ≡≡

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一足飛びに初夏の風情に

 長袖シャツに薄手のフィールドコート。3月末の時期としては少し薄着かなと思えるような組み合わせで神保町へ。
 気温は高く、陽射しはたっぷり。上々の天気だった。
 しかし、よく考えてみたらまだ4月にもなっていない。気候の進み方が早すぎて、身体が戸惑ってしまいそうである。

 駿河台下で昔からやっている喫茶店に入り、席についた途端、こめかみからツツツーと汗が流れ落ちてきた。
 コロナ禍ということもあり、窓は開いている。しかし、エアコンまでは入っていない。早い話が室温と外気温に違いはないわけだ。違いと言えば爽やかな風が吹いていないことだけなのだが、それがツツツーの原因だったようだ。

 周囲を見渡すと、誰も暑がっていない。穏やかな雰囲気の喫茶店の中でオッサンひとりが暑そうにしている図というのは妙に気恥ずかしいもの。被害妄想甚だしいが、何キロか走った後の水分補給に入ってきたと思われてもおかしくないと感じてしまった。

 世間が桜の時期が終わってしまうとワサワサしているが、お天気の神様は春を置いてきぼりにして初夏に突入しようとしているのだろうか。それとも、近頃の傾向どおり、春を短く切り上げて、梅雨と真夏を出来るだけ長くしようという魂胆なのだろうか。

 汗を拭き、コーヒー1杯と水2杯を飲み終わった時の感想は「これもまた異常気象のイタズラなのか」だった。

[0329 - 3735]

≡≡ 花散らし、花筏 ≡≡

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桜にまつわる言葉と日本人

 東京のソメイヨシノがほぼ満開になった日曜日。東京は今週も雨でした。今や盛りのソメイヨシノにとっては恨めしい雨だったかもしれません。
 それにしても、春の歩みが早すぎて、こちらのリズムまでテンポアップしそうです。

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  江戸時代に挿し木で育てるソメイヨシノが主流になって以来、それまでの梅に変わって、桜は日本人の意識に大きな影響を影響を与えてきました。
 開花から落花まで状況に合わせた言葉、愛で方、印象……、桜にまつわる言葉ほど熟語の多いものはないといっても差し支えないでしょう。

 満開時に降る雨は「桜流し」。そこに「花風」が吹けば「花散らし」。
 「舞い散る」花びらが池や湖に広がれば「花の浮橋」。川に広がって長い筏のようになれば「花筏」。
 朝のしずくで花びらが潤んでいるような早朝の桜は「朝桜」。花びらが吹雪のように舞う姿は「花吹雪」。遠くから見た満開の桜には「花霞」という言葉が似合うもの。
 桜を愛でる「花見」は「桜狩り」や「花の宴」、あるいは「観桜」。愛でる人は「桜人」。
 遠くから群生した桜を見ると「花霞」が掛かり、一本ですっくと立つ孤立した桜には「侘桜」という言葉が付けられる。

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 風流の発露であったり、行楽のうたい文句であったり。桜にまつわる言葉だけで一冊の本が出来るほど。これほど人生と密着した言葉はほかにないでしょう。

 そんな桜もソメイヨシノの時期は過ぎそうですが、もともと桜は100種以上の品種があるもの。これからが見頃のものだってたっぷりと残っています。私の好きな枝垂れ桜もこれから「初桜」が咲きそうです。

 急いては事を仕損じる。慌てなくても、桜の季節はまだまだ続きます。

[0328 - 3734]

≡≡ 繰り返す緊急事態宣言 ≡≡

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東京の新規感染者430人

 首都圏の緊急事態宣言が解除されて1週間。今日の新規感染者数は430人。前週同日と比べると88人多かった。
 感染が確認されるまでの日数を考えれば、解除前にされた予告が人々の気持ちを緩めてしまったのか。そもそも宣言自体の効果がなかったと言うべきか、それとも変異種の感染力が想像以上に強いのか。
 意見は分かれるだろうが、ひとつだけ確実なのは「このままでは近いうちにもう一度緊急事態宣言が発出される」ということだろう。

 3度目の緊急事態宣言となると、飲食店や観光産業には大打撃以上の事態が起こることは必至。川上から川下まで、支流も含めて会社精算や破産、廃業が急増するかもしれない。そうなると、これまで怒りと涙を抑えて堪えてきた人たちの不満が大爆発してもおかしくない。
 いや、それ以上に、発出されるものがこれまで同様の「お願いベースで、一部の職種への補助金はあるが強制力も強い拘束力もなし」になるとしたら誰も従わなくなる可能性だって考えられる。

 私は、もはや必要以上に危機感を煽ることのないお願いベースだけでこの難局を乗り越えることはできないと感じている。
 特に、欲望の赴くままに生きようとて同調力にすがってきた人たちや、事情があるとしても目先の利益を優先させてきた人たちには危機感を共有できるような厳しい施策や、本能的な恐怖心を刺激する情報発信が必要なのではないだろうか。

 コロナ禍の収束を信じて、目先の利益よりも耐えることを選んだ人たちにどこまで“寄り添って”きたのか。次回の宣言発出は、まさに政治家の本性と洞察力と力量が問われるものになるだろう。

[0327 - 3733]

≡≡ マンボウと第4波 ≡≡

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皮肉な気持ちで聞いてしまう新語

 「すでに新型コロナの蔓延は第4波に入っています」。テレビに出てくる医療系コメンテーターのなかでは“第4波”が合言葉のようになっているようだ。
 一方、政治の世界では“まん延防止等重点措置”略して“マンボウ”が流行し始めた。
 第3波の延長線にある4波だったり、短く略した言葉だったりと、馴染みやすいものばかりなのでちょっとホッとしているが、新語であることに違いはない。

 専門用語あり、新語あり、略語あり。この1年でどれだけ今まで知らなかった言葉に触れただろう。ほとんどは理解したつもりだが、なかにはいまだにウン?と首を捻ってしまうものもある。
 言葉はまだいい。これが表組やグラフとなると、落ち着いて見ないと数字の羅列や模様としか理解できない場合もある。

 そんな新語群に新しく仲間入りした“第4波”と“マンボウ”は、どちらもあっさりと使われるようになったが、実は両者とも極めて重みのある言葉である。
 緊急事態宣言が解除されてまだ日も浅いというのに、感染症の専門家から「蔓延状況はすでに第4波に差し掛かっている」と言われると、解除された途端に緊張感ゼロになってしまった“聞く耳持たずの人たち”よ、聞いてくれと思ってしまう。きっと、そういった人たちの耳には届かないだろうが。
 一方、エリア限定で緊急事態宣言に近い効果を発揮するはずのマンボウは、発出すると次の選挙に影響するといった政治家だけが嗅ぎ分けることのできるポリティカル・バランスの影響で発出がためらわれているという。
 つまり「コロナ禍を収束させるには感染予防より政治哲学の刷新がカギ」というこれまで囁かれてきた隠された事実がここでも繰り返されているわけだ。

 さあ、次の新語はなんだ? 県内移動に限定したGo Toトラベル改訂版の実施ではないことを願いたいものだ。

[0326 - 3732]

≡≡ 聖火リレー始まる ≡≡

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既成事実の積み重ねで
開催へまっしぐら

 東京オリンピックパラリンピックへのゲートウェイ聖火リレーが始まった。福島のJビレッジからスタートして全国を廻り7月には東京に入ってくるという。

 東京・大阪間に東海道新幹線という名の超特急電車が走り出し、新発売されたカラーテレビがお金持ちの証しだった時代。両親や学校の先生から日本の首都、東京でオリンピックというものが行われるということを聞き、意味もなくワクワクしながら待ち望んでいた。分かっていたのは世界のスポーツ選手が東京に集まって行われるスポーツ大会だということだけだったと記憶している。
 アテネという所で“聖なる火”が点火され、世界を回って日本にやって来ることや、その火が日本中を駆け巡って東京の国立競技場にやって来るという聖火リレーのことを知ったのは、手に黒いインクがうっすらと残る新聞を親が読んでくれた時だった。
 当時の聖火リレーは“聖なる火”で競技を見守る崇高な行事としか受け止められない存在だった。その賛否を問うなんて発想は国民の誰ひとりとして考えていなかったと思う。
 そんな聖火が国立競技場の聖火台に点火されるところは、小学校の視聴覚教室に設置されていた白黒テレビで見たように記憶している。
 録画されたものを我が家の白黒テレビで見た時、両親が正座して見始めたのに気づき、よほど特別なことが始まったんだと感じたことも記憶の片隅に残っている。

 そして57年経った今日、聖火リレーを皮切りに“東京2020”が始まった。

 コロナ禍のおかげで、いまだに開催そのものさえ賛否が渦巻いているなかでの聖火リレーのスタートを素直に誇らしく喜ばしいことと感じながら見た人はどれだけいるのだろう。私のように「開催には賛成だが、本当に大丈夫か」と割り切れない気持ちで見つめた人のほうが多かったのではと思うのだが、違うだろうか。

 開催日までにはコロナ禍も世界規模で収束するという確信も持てず、観客の入場の可否も、コロナ禍の競技用に設定された特別ルールも、世界中のオリンピアンの入国や滞在ルールも、何もかもが示されないまま聖火リレーは始まってしまった。
 ここから先は「聖火リレーが全国を廻っている」という既成事実をもとにして一直線にオリンピック開催へ向かっていくのだろう。

 “東京2020”はコロナ禍の影響で、これまでのオリンピックとはその意義がまったく違うものになってしまった。このまま開催しても、アスリートが作り出すレコードよりも、感染症と闘いながらも開催したという歴史的な事実だけが残るような気がするのだが……。少なくとも57年前のような晴れがましさは体感できないような気がしてならない。

[0325 - 3731]

≡≡ 校閲は最後の砦 ≡≡

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誤植だらけの法案で
審議ストップに

 【誤植】印刷物で、文字・記号に誤りがあること。ミスプリント。(weblio辞書より)。
 要するに校正ミスである。デジタル文書が当たり前になった現在、なぜ「植」という字が使われているかという問題については触れないでおこう。

 現在行われている通常国会で提出予定だった法案に校正ミスが多発しているため審議がストップしている。
 さすがに法案の骨子まで間違っているものはないようだが、文字の間違いや欠落が多すぎて審議にならない事態とは、呆れ返ってしまう。

 コンピュータで文章作成するようになって、手書きの時代には考えられなかった間違いが増えたと言われている。
 特に多いのは同音異義語。今回のミスを例に取れば「丁と長」がそれに当たる。
 次に多いのは正式な書き方と通称が混在し、どちらも正しいとされている複合語に振られる仮名。たとえば「申し込み」は動詞の場合はこの仮名遣いで正しいが、名詞遣いなら慣用句の「申込」が正しい。「売り上げ」も同様で、「売上高」が正しく「売り上げ高」は間違いとされている。

 ところで、今回のミスには同じ文字組がゴッソリと抜けた例もあったようだが、これこそコンピュータで文章作成した場合にだけ現れる典型的な例である。つまり、テキストエディターの検索・変換機能に頼りすぎて、同じ文字列を一気に削除したり変換してしてしまったミスとしか言いようがない。
 こんな機能に頼りすぎたミス以外に忘れてならないのが、自分で書いたものが綺麗な文字で表示された途端に作成イコール完成と見做してしまう人間の本能である。
 そんな事故を防ぐために新聞や出版など文字を表現方法にしている業界では「文章は作成者以外の複数の人間がチェックすること」が鉄則になっている。
 そのため、通常は最低でも筆者以外に担当編集者やデスクだけでなく校閲マンや校正マンがひとつの文章をチェックするようになっている。ちなみに、印刷業界にも印刷物が世に出る前の最後の砦として最終チェック専門の校閲係が存在している。

 余談だが、野党側が「出し直し(だしなおし)」を要求しているということだが、これが「出直しだと「でなおし」になる。とにかく日本語はややこしく出来ているのだ。

 企業内日報などの報告書しかり、個人ブログしかり。「書いたら終了」が通例になっている文章に校正ミスが多いのは他人のチェックが入っていないから。コンピュータの場合、漢字の間違いは減るがトンチンカンなミスが増えるもの。
 今回の異常事態は、人員不足や時間的な制約が招いたものと言われているが、それ以前に、組織の体質として、縁の下の力持ちに徹している校閲の力を蔑ろにしてきた報いと言ったほうが的確。簡単に言えば「みんなでチェック」していれば、こんな恥ずかしいことにはならなかったはずだ。

[0324 - 3730]

≡≡ 時短だけでは治まらない ≡≡

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これからの課題は

 今日、東京都は飲食店に対しての時短要請を4月21日程度までの延長を検討していると発表した。

 たしかに今の状態で飲食店が通常営業に戻ると感染拡大は目に見えている。制限を掛けるなら飲食店だと結論づけるのは妥当な方針だとは思うが、これだけで感染拡大を防ぐことが出来るのだろうか。
 8時までだったものが9時になったというだけで、行きつけの店で飲み食いしたい人たちがドッと押し寄せている現状をみると、どれだけ延長しても、その期間が終われば、人は集まり、笑顔で笑い、大声を出すのではないだろうか。

 コロナ禍がはじまって1年以上が経ち、誰もが我慢することを受け入れてきた。しかし、人間の我慢には限度がある。たとえ制限があっても、一旦その禁を破ってしまえば理性のタガは簡単に外れてしまう。人間なんてそんなものだ。

 そろそろ飲食店の営業時間と行楽地の行動制限だけに焦点を絞るのではなく、三密になることを前提とした拡大防止策に資金投入する時が来ているのではないだろうか。
 たとえば、現状のような損失補填ではなく、ルールに則り、検査基準に合格した店舗に対するリフォーム費用補助のようなことは考えられないのだろうか。いわば店舗に課されている消防法や食品衛生法感染症法版である。
 感染症法の改定に時間が掛かるのなら、省令でリフォーム的な要素を補完してもいいだろう。目的は環境作りなのだから。

 時間を制御するのではなく、本能に支配された人間の行動様式を制御する。これからの課題はここにあるのではないだろうか。

[0323 - 3729]

≡≡ 今日から再開しました ≡≡

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秋葉原お好み焼店にて

 私は「あなたにとってのソールフードは何でしょうと聞かれたら『お好み焼』と答えることにしている。東京で生活しはじめて数十年経ったといっても、子供のときに覚えた旨さは忘れられないからだと思っている。

 そんな私が時々顔を出す大阪生まれの店が秋葉原にある。大阪生まれというといまや、オーバーデコレーションが当たり前になってしまったが、この店は古典的なスタイル、つまり、見た目はシンプルだが、キャベツの切り方と生地の旨さ、ソースの奥深さが相まったもの。神戸流に近いと言えば近いので気に入っているのかもしれない。

 そんな店に数カ月ぶりに行ってみた。東京人が右へ倣え式に皮肉る、お好み焼+白ゴハン+味噌汁が組み合わさった昼メニューの「お好み定食」が食べたくなったからである。もちろん、相変わらず美味だった。

 その店から帰ろうとした時、店長から「今日から再開店なんです。コロナのお陰で、ずっと休んでいました」と言われた。この店も自粛していたのだ。

 昼夜とも回転率の高い高層ビルのレストラン街の店子で、ほかの店は営業しているにも関わらず1月からずっと休業していたらしい。従業員も以前通りだったので、どう計算しても、新型コロナウイルス感染症対応休業支援金だけでは足りなかったはず。本店からの支援もあったかもしれないが、よく耐えたものである。

 苦渋の時を越え、溢れんばかりの笑顔で再開を伝えてくれた顔見知りの店長の心情を考えると、呑気に「お好み定食」を食べていた自分が恥ずかしくなってしまった。

 国の方針に従い、じっと堪えて再開する日を待っていた店に幸いあれ。以前の賑わいが戻ってくることを心から願うばかりである。

[0322 - 3728]

≡≡ 緊急事態宣言解除間近 ≡≡

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さて、これからの生活は

 現在3月21日23時過ぎ。あと数十分で一都三県に出されていた緊急事態宣言が解除される。
 変異種の感染拡大やリバウンド必至と言われているなかでの解除を危惧する人や困惑する人がいると思えば、当然と受け取る人や遅すぎると反発する人もいる。まさに悲喜こもごもの解除である。
 国や自治体は解除後の政策や制度を作るようだが、どれもこれまで言われていた施策を具現化しただけとしか感じないもの。市井の人間の行動様式に響くものはないようだ。
 ちなみに私は、これまで同様「このまま続けても効果はないから一旦解除して仕切り直ししたほうがいい。強い痛みを伴う状態にならないと国民の意識は変わらない」と考えている。

 それにしても、どうしてここまで淡々とした発表になったのだろう。

 たとえば「解除後の政策はコロナ禍に対する、いわばインフラ整備を充実させるためのもの。市民生活では急拡大に備えて、これまで通りの予防策をとってほしい」と発信してくれればもう一度従ってみようかという機運も湧き上がるだろうに、形通りの発表では市民の意識は離れるばかり。予防に徹する集団とそうではない集団の温度差は広がるばかりだろう。

 やはり、感染したくなければ個々人で感染予防策を取るしかない。罹ってしまうまではこれまで通り「マスク、消毒、手洗い、疎、遠」しかテはないというわけである。
 我慢の日々はいつまで続くのだろう。

[0321 - 3727]

≡≡ 春分の候 ≡≡

 

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世界中の人々が希望を抱く頃

 二十四節気春分の候がやってきた。江戸時代に著された暦便覧では「日天の中を行て昼夜とうぶんの時なり」と書かれている。

 昼夜の時間がほぼ等しくなり、明るい時間が増えていく日。先祖に敬意を払い、心の安寧を得る彼岸の中日。待ち望んでいた桜が咲き、春を実感する時期。
 春分二十四節気のなかでももっとも人々に希望を抱かせてくれる候である。これからの約2週間で陽気も完全に様変わりするはずだ。

 世界を見渡したとき、昼夜の時間が等しくなる春分は、暦の世界だけでなく宗教的にも“基点”になる日とされることが多いようだ。要するに世界の人々誰もが春の陽気に特別な何かを感じ、節目の日と考え、この日が来ることを待ち望んでいると言ってもいいのかもしれない。

 とはいっても、このご時世。コロナ禍収束に明るい兆しが見えてくるとは思えないが、それでも春分を機に何かしら良き変化が起こるのを期待しておこう。

[0320 - 3726]