∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ LGBT法案取り下げ ≡≡

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偏見と差別感が見え隠れする法案の末路

 今日、自民党は「LGBTへの理解を深めるために性的指向性自認の多様性を受け入れる寛容な社会の実現を目指す」という法案、いわゆるLGBT理解促進法案の提案を取り下げた。

 自民党の政調審議会での意見の紛糾と、野党との修正協議の中で法案に盛り込まれた「性的差別は許されない」という文言が「訴訟を多発させる」というのが取り下げ理由だと自民党は説明している。

 この法案は審議の過程で、保守派による露骨な性的差別や因習に取り憑かれた偏見が飛び交っていたと言われている。

 その際たるものの中には「女性として生きていてもトイレは男性用を使うべきだ」とか「生物学上、種の保存に背く」、あるいは「同性婚を招くことになる」という発言が含まれている。
 このような反論からは「理解も納得もしないし、これからも差別する。成立しても尊重する気はない」と考えていた保守派の本心が浮かび上がってくるようだ。
 百歩譲っても、今秋の衆議院選挙の、いわば人気取りのための法案にしておこうと目論んでいたとしか思えない。

 そんな保守派にとっては、生理的な感情論では推進派の意見に押し切られると感じていたところに出てきた野党からの「差別は許さない」という提案は、まさに“渡りに船の逃げ道”だったのではないだろうか。「差別は許さない=訴訟が増える」という飛躍しすぎた論理でもなんでもいいから取り下げられればそれでよしとしたのだろう。

 私は、これで良かったと思っている。

 偏見と差別感に支配された政治家に真っ当な法案の審議なんて出来るわけがない。たとえ、LGBTへの理解を深めるための第一歩で、法を充実したものにするためには将来に渡っての整備が必要と割り切った法案であってもだ。
 「性的指向性自認の多様性を受け入れる寛容な社会の実現」という立法趣旨を理解できない政治家がどんなに審議したところでロクなものが出来るはずがない。もう一度、イチから出直してもらおう。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気みなぎる
[0528 - 3794]
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≡≡ これを日常と感じる恐ろしさ ≡≡

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そもそもの期限さえ忘れていた
緊急事態宣言延長決定

 現在出されている緊急事態宣言を約3週間、6月20日まで延長することが決まり、5月28日に専門家との会議の後で発表される(らしい)。ちなみに、現在発令中の宣言は5月31日までのものだった(らしい)。

 今年になってから、東京には常に緊急事態宣言か、まん延防止措置が発令されてきた。昨年から数えれば“シバリのある生活”がどれだけの日数になってしまったか。考えるだけで虚しくなってしまう。

 そんな中での緊急事態宣言延長である。

 思い起こすと、はじめて宣言が発令された時は、ただならぬ緊張感と不満が入り混じった不思議な感情を抱いていた。しかし、こう何度も何度も緊急事態だ、まん延防止だ、延長だと言われ続けると複雑な気持ちしか浮かんでこなくなる。

 出歩くのは最小限。人混みはできるだけ避ける。マスクと消毒、手洗いは必須。会食なんてもってのほか。そして、収入減少は想像を絶するような節約と我慢でしのぐ。
 私でさえこうなのだ。飲食やエンタメ関連の仕事に直接関わっている人たちの苦労はいかばかりかと想像してしまう。

 ガラッと変わってしまった私の日常に変化が現れるのはいつのことだろう。ワクチンを接種すればいくらか自由に動けるようになるのだろうか。

 政府が延長と決めても私の生活に変わりはないだろう。いや、これ以上変わりようがないのだ。政府や都が新たな方策や指針を示せば、新たな緊張感も生まれるかもしれない。しかし、これまで同様なら“日常になってしまった非日常”体制で粛々と生活を維持するしかない。

 コロナ禍を収束させる最終手段だったはずなのに、いつのまにか生活を締め付けるだけと感じるようになってしまった緊急事態宣言。
 今回の延長では、緊張感の中にも人々が目標や希望を取り戻せるような方策が盛り込まれることを願うばかりである。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気みなぎる
[0527 - 3793]
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≡≡ 小さな一歩。大きな一歩 ≡≡

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改正著作権法成立

 コロナ禍の中でも国会では提出された法案について審議が続いている。
 理不尽すぎて提案が見送られ、事実上廃案になって安堵した出入国管理及び難民認定法入管難民法)もあれば、歩みは小さいが偉大な一歩を踏み出した改正著作権法著作権法の一部を改正する法律案)のように参議院本会議で全員一致で可決したものもある。

 今日成立した改正著作権法は、放送番組の配信にまつわる権利処理に「許諾推定規定」を盛り込むことと、許諾困難になってしまった音源・実演・映像などについての事前許諾を不要にするという考え方を盛り込むのが主な改正点だったが、もうひとつ重要な見直しも含まれていた。それが図書館関係の権利制限規定の見直しである。

 従来は、研究者が入手が困難になった絶版本などを資料に使いたいと思った場合、一般の図書館から国立国会図書館にリクエストを出し、それを受けた国会図書館がデジタルデータで図書館に送信し、送られてきたデータを研究者が使用するという手順を踏んでいた。
 また、調査研究用であれば利用できた図書館の複写サービスも、研究者なら直接国会図書館に請求し、データ化してメールで送信してもらえることになった。しかも、権利を有する出版社や作者に「補償金」を支払うという但し書き付きである。

 実は、この補償金というのがミソなのだ。補償金=印税と読み替えてみるとよく分かるはずだ。

 出版社が権利の一切を買い取る契約でもない限り、作家は著作物が売れた時に発生する印税で収入を得ている。しかし、出版社や出版取次が管理できるのは新刊だけ。古書店で売買されたものや図書館で貸し出しされたものは管理の対象外、つまり収入は発生しないというのが常識になっている。

 本の価値は“モノ”にあるのか、著された“内容”にあるのか。

 出版社や著作者が主張できる収入は新刊以外認められないのは不可解だという永遠の課題に小さな突破口を開けたのが今回の“補償金制度”ではないかと私は思っている。

 たしかに今は、データ化が許されるものは研究用の資料であることや著作物の一部という制約が付いている。
 しかし、補償金制度を応用すれば、少なくとも電子書籍であれば、それが図書館所有のものであっても、印税を発生させることが可能になったとも考えられるのだ。
 当然「知の資産は無料で利用できる公共のもの」という常識も変わってくるだろう。常軌を逸した引用や剽窃も減るかもしれない。もちろん、現在の新刊優先主義にも変化が出てくるだろう。
 なにより、長期に渡って著作者に収入が生じるというメリット付きである。

 今回の補償金制度は、本の世界に新風を吹き込んでくれるものと期待させるに充分なものなのではないだろうか。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気みなぎる
[0526 - 3792]
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≡≡ 大いなる違和感 ≡≡

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糖尿だから打ちたくない

「オレ、糖尿だからワクチン打ちたくないんだ」

 今日、とあるカフェでこんな会話が聞こえてきた。最初はこういう人もいるんだ程度に聞き流していたが、基礎疾患のある人は優先接種というアナウンスを思い出し、帰宅後、基礎疾患とは何かというところから調べてみた。

 厚生労働省のサイトを覗いてみると、そもそもの基礎疾患が分かってきた。現在認定されているもので今後見直されることもあるだろうが、今はどうなのかを知る手立てにはなる。

・慢性呼吸器疾患
・高血圧を含む慢性心臓病
・慢性腎臓病
・肝硬変等の慢性肝臓病
インスリン等で投薬治療中の糖尿病、又は他の病気を併発している糖尿病
・鉄欠乏症以外の血液の病気
・治療中の悪性腫瘍を含む免疫機能が低下する病気
ステロイド治療中の免疫性疾患
・免疫異常に伴う神経疾患や神経筋疾患
・呼吸障害等、神経疾患や神経筋疾患で身体機能が衰えている状態
・染色体異常
・重度の肢体不自由と重度の知的障害が重複した重症の心身障害
睡眠時無呼吸症候群
・重い精神疾患精神疾患で入院中、精神障害者保健福祉手帳の所持、重度かつ継続的な精神通院医療や療育手帳を所持した知的障害
・BMI30以上の肥満

 以上15症状。糖尿病も入っている。

 厚労省の定義を信じる限り、カフェで聞こえてきた「糖尿だから……」というのは誤解から出た言葉だったわけだ。

 なぜ彼は打ちたくないと言っていたのだろう。
 副反応が怖いとか、単に打ちたくないのか、それとも、経験したことがないから、様子見がてら、背を向けておこうという微妙な心理が働いているのだろうか。
 そもそも、かかりつけ医に相談すればすぐに答えは出る。そうしなかったのは糖尿病云々自体が打ちたくない言い訳だったのだろうか。

 マッ、いいだろう。今日カフェで出会った彼にもう一度出会うことがあれば「糖尿病は接種が優先される基礎疾患ですよ」と伝えてあげよう。お節介だとお叱りを受けるかもしれないが。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気みなぎる
[0525 - 3791]
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≡≡ 大手町問題 ≡≡

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初めての時は
迷子になって当たり前と
開き直ることが大切

 大手町の大規模接種センターでの高齢者向け大規模接種が始まったが、接種そのものより地下鉄から会場までの行き方に話題が集中している。
 東京メトロ大手町駅のことを知らない人にとっては本末転倒、枝葉末節にナゼそこまで大袈裟に取り上げるのか不思議でしかない現象である。

 正直に言おう。私は、会場が大手町なら義務でもない限り行きたくない。この駅は、ちょっと気を緩めただけで確実に迷子になると確信しているからだ。迷わずに行ける自信のあるのは、ようやく覚えた千代田線から半蔵門線への乗り換えくらいである。

 東京メトロ都営線合わせて5路線が交差しながら地下3階まで広がっている駅で、11の改札と40の地上出口を自在に利用するなんて頭脳は私にはない。
 たとえば私がよく利用する千代田線に限ってみよう。5~6箇所あるエスカレータやエレベータの中からひとつを選んで改札までたどり着き、そこからいくつあるのかも分からない出口から“当たり”を探し出して地上に出るとホッとひと息つけるわけだ。
 大手町が目的地ならまだいい。半蔵門線東西線に乗り換えようとすれば案内表示とにらめっこ間違いなしである。
 ちなみに、一番離れている都営線に乗り換えようなんて、めまいが起こりそうな離れ業は考えたこともない。

 と書くと、とてつもなくややこしく不親切な駅のような印象を与えてしまうが、実は、大手町駅の案内表示は非常に行き届いている。
 問題があるとすれば出口番号が英大文字+数字+英小文字で表記されていることくらい。方面別、ビル別、道路別に組み合わせたらこうなったということが理解できるようになれば“大手町マスター”である

 大手町駅攻略の王道は、ありったけの案内表示を見ることに尽きる。

 電車を降りたらその場で案内表示を丁寧に見ることと、改札を出た所の案内板で目的地を探し、出口番号を覚えたあと歩き始めれば数十%の確率で目的地に近い出口から地上に出られるはずだ。

 地下鉄大手町駅で改札がどこだとか、出口はどこだと大騒ぎするのはそろそろ打ち止めにしよう。あの駅は迷って当たり前の駅なんだから。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気みなぎる
[0524 - 3791]
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≡≡ 血の滲むような決断 ≡≡

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沖縄には来ないでください

 ここ数日、東京・大阪の新規コロナ感染者が減り続けている一方で沖縄や北海道などの緊急事態宣言下にある都市ではいまだに危機的な状況が続いている。

 緊急事態宣言が発令されている沖縄・北海道は観光客が多い飛行路線。愛知・岡山・広島・福岡はJRの新幹線沿線の大都市。また、まん延防止措置が発令されている自治体は首都圏や近畿圏のようにすべて緊急事態宣言が発令されている自治体に隣接している。

 感染状況から逆算すると、ゴールデンウィーク中にコロナウィルスがいかに拡散していったことが分かってくる。
 それは、一都三県や京阪神のような広域で人流を抑制することも重要だが、それ以上に移動手段別にある程度の強制力を伴った要請があればウィルスの“染み出し”も防げることも示しているわけだ。

 今回の緊急事態宣言発令に際して、沖縄県は独自の要請に「県民及び県内に滞在している皆様への要請」と銘打った発表をしている。また「来訪者の皆様」へとして「県外からの来訪(帰省を含む)について、緊急事態措置期間は自粛してください」というお願いも出している。

 観光収入の比率が高い沖縄県が「沖縄には来ないでください」と発表するのには血の滲むような決断が必要だったはずだ。
 今回の要請は、毅然とした決意をもって「感染拡大を収めないと経済も市民生活も何もかもが機能しなくなる」と危機感を伝えることがいかに大切かを教えてくれたのではないだろうか。
 これまで曖昧な“お任せ要請”で乗り切ろうとしてきた自治体も見習ってはいかがだろう。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気みなぎる
[0523 - 3790]
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≡≡ 世紀のブラフ ≡≡

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このこけおどし、どう捉えるべきか

 オリンピック開催についてIOCのコーツ調整委員長が「TOKYO2020は緊急事態宣言下でも開催する」と語ったことに大きな波紋が広がっている。
 橋本組織委員会会長のように「医学的、科学的な治験を結集して安全安心の大会が出来る努力をしていくのが私たちの考え」と同調する人もいれば、「今の状況でオリンピックは難しい」という心情を“呆れ”や“諦め”“見下し”などの感情とともに語る多くの国民もいる。

☆☆☆☆☆☆☆

 「ブラフ」という言葉がある。虚勢を張ったハッタリやこけおどしという意味で、トランプのポーカーで勝てそうにない手でも態度や言葉で相手を引き下がらせる時にも使われる単語である。ちなみに、このブラフ(bluff)には「崖」とか「岬」という意味もある。

☆☆☆☆☆☆☆

 私は今回の発言を「そろそろTOKYO2020の開催について最終決断をしなければいけない時期。このあたりで締めておくか。責任の所在もはっきりしておかなきゃな」と考えたIOCの考え方を彼が代弁したものだと感じている。

 IOCも追い詰められているようだ。
 この有事をきれい事で済ませようとするとIOCが築き上げてきた権力にヒビが入り、これからの運営にも関わってくる。崖っぷちに立たされているのに間違いはないが、虚勢を張ったこけおどしで日本に揺さぶりを掛けて、中止の決断をするならすべての責任をなすりつけよう。IOCは日本の国民感情に忖度するつもりはない。
 開催を前提にして参加国への説明もやってきた。ワクチンも提供した。大会関係者の削減も実現させた。あとは日本が判断しろというのが本音ではないだろうか。
 あるいは対決の下準備として「日本が中止を申し入れてきても、これだけハッタリを効かせておけば、IOCの立場は守れる。そろそろ“常に我々には従順であれ”と刷り込んできた日本人たちにすべてをなすり付ける下地を作っておこう」と考えているのかもしれない。

 国民感情か、オリンピックはスポーツビジネスのひとつの頂点と捉えているIOCか。いずれにしても日本が毅然とした態度を表明する時が近づいている。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気がみなぎる
[0522 - 3789]
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≡≡ 『小満』の候 ≡≡

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艷やかに輝く青葉
耳に優しいせせらぎの音
万物が生き生きと動き
小さな満足感を味わえる頃

 『小満の候』。いつの間にか若葉が艷やかに輝く青葉に成長し、せせらぎの音が耳を優しくくすぐり、木漏れ日が目に心地よく感じる季節がやってきた。「麦秋」と呼ばれる麦の収穫期もすぐそこまでやってきている。

 二十四節気の『小満』は江戸時代に著された『暦便覧』に「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されているとおり、ものごとが満ちあふれはじめる時期である。

 梅雨時と重なり、ジメジメとした印象の強い時期だが、実は秋の収穫に向けた活気がみなぎり始め、万物が生き生きと動き始めるのがこの時期の特徴。秋の収穫が大きな満足感だとすると、今は、活気がみなぎり始めたことに小さな満足感、「小満」を味わう時期と言ってもいいだろう。

 季節の移り変わりだけでなく、コロナ禍の収束が見え始め、それぞれの私生活にも、小さいけれど前向きな変化が起こってくれる時期になってくれるとうれしいのだが、望み過ぎだろうか。

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小満』‥青葉繁れる頃。万物に活気がみなぎる
[0521 - 3788]
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≡≡ 怖いけれど羨ましい ≡≡

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─諸外国で進む制限解除─
日本の“コロナフリー”はいつになる

 イギリス・フランス・アメリカ・イスラエル
 日本では想像できないほど厳しい行動制限期間を乗り越え、迅速なワクチン接種の後押しが実現した国から飲食店の営業制限解除のニュースが次々と届いている。
 極めて迅速なロックダウンや行動制限の理由を噛み砕いて説明してきたおかげで感染者ゼロが続いているニュージーランドやオーストラリアの様子も時折伝えられている。
 政治的な側面が強いとはいえ、それなりの成果を上げている中国や、早い時期から落ち着きを取り戻していたが、思わぬ感染者が出たため即座にロックダウン体制を敷いた台湾という例もある。

 ワクチン接種でコロナ禍を抑え込んだ国もあれば、国民の意識の高さや国への信頼感で“コロナフリー”を勝ち取った国もある。
 誰もが笑いながらノーマスクで楽しんだり、そぞろ歩いたりしている風景を見ていると、大丈夫なのかという心配と、素直に「いいなあ」という羨ましさがないまぜになって浮かんでくる。

 一方、日本では……。

 私権制限を最低限に抑えようとした緩い制限。
 うわべの公平さと目先の財政状態の健全さを前提にした広く薄い経済支援。
 説明不足の政策より目先の収入と決めて要請を無視している店や人々。
 腰の引けた慎重さと、緊急対応より行政の習わしを重視したために契約の争奪戦に破れてしまったワクチン輸入。
 選民意識やイベント性のほうが目立つようになってしまったワクチン接種競争。
 病気に罹りたくないから国や医療の専門家が示した“処方箋”を守ろうという意識よりも、手前勝手な判断を実践する人々の増加。
 コロナ禍なんてどこ吹く風で進みそうになっているTOKYO2020。

 ……、何もかもがイビツな形のまま進んでいるような気がしてならない。

 いつになったら日本も“コロナフリー”の仲間入りをすることが出来るのだろう。
 美味しい料理と酒をテーブルに並べ、ノーマスクでワイワイ語り合い、楽しく過ごせる日々がすぐにでもやってきてくれることを願うばかりである。

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立夏の候』‥夏の始まりは新緑と薫風から
[0520 - 3787]
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≡≡ ワクチン騒動・その3 ≡≡

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落ち着いて、落ち着いて

 予約の混乱や接種ミスの報道が今日も相次いでいた。もちろん、抜け駆け接種の市長の話題もラインナップされていた。

 高齢者が打てるのだったらできるだけ早く打ちたいと思う気持ちも分かるし、緊張するあまり、重大事故につながりかねないミスが起こったというのも分かるような気がする。

 根拠のない特権意識で抜け駆け接種し、言い訳にならない言い訳で切り抜けようとする輩を冷ややかな目で見つめておけばいいことにも気づいた。

 ついでながら、極めて短時間で出来る限りの環境を整えた自衛隊の大規模接種作戦を責めること自体が間違っていることも理解している。

 ワクチン接種が本格的になれば、それなりに大騒動が起こるだろうと思ってはいたが、どうも私が想像していた混乱とは種類が違っていたようだ。
 アナフィラキシーショックの人が出たとか、会場で順番待ちの人たちの間で小競り合いが起こったというような事件は起こっていない。自衛隊への批判以外は心理的な動揺から起こったことばかりである。

 ちなみに、自衛隊への批判に関しては、劣悪なデジタル環境がいかに動きを阻害するものかも考慮せずに、思いつきで発令した国が責任を取れば済むことだと理解している。

 マッ、それはともかく。今言いたいことはただひとつ。

 皆さん、とにかく、落ち着きましょう。

 ワクチンはなくなりません。あなたひとりを置き去りにすることもありません。誰もが打てるのだから、早く打ったからといって自慢にもなりません。
 どんなに慣れた作業だって緊張すればミスは起こるもの。正確さはこんなミスの積み重ねから生まれるものとご自分を叱咤激励してください。
 慌てたり、緊張しすぎたりした結果、最悪の結果を招いてしまう可能性だってあるんです。深呼吸して落ち着きましょう。

 市井の人間向けのワクチン接種は始まったばかり。今のうちに“小さな混乱”を済ませて経験値として身につけておけばいいじゃなですか。

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立夏の候』‥夏の始まりは新緑と薫風から
[0519 - 3786]
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≡≡ 梅雨間近 ≡≡

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まだ5月半ばだというのに

 午後からシトシトと降り始めた雨がいまだに降り続けている。天気予報によると明日も雨模様だという。
 数日前に九州が梅雨入りしたというニュースを聞いたときは単純に「今年は早いなあ」としか感じていなかったが、東京でも雨が降り続くようになると“早すぎる梅雨入り”が気になってくる。

 4月は桜。5月は五月晴れ。6月は梅雨。こんな単純なカレンダーで動いている私は、今、なんだか損をしたような気になっている。
 もうしばらくは心地よく晴れ渡った空の下で過ごしたいと思っているのに、梅雨が前倒しでやってくると、それだけで陽の光と過ごせる時間が減ってしまうじゃないかという理屈である。

 かといって、梅雨時分が長くなることだけは御免被りたいもの。いっそのこと夏が長くなってくれればいいとも思っている。とにかく雨が苦手で、夏が大好きという私にとっての小さなワガママかもしれないが。

 どうも梅雨入りというの当日に分かるものではなく、あとになってから分かるものらしい。つまり、まだ5月半ばだというのに、もう梅雨入りしているのかもしれないわけだ。

 日本らしい自然のリズムはどこに行ってしまったのだろう。これも地球温暖化の悪影響なのだろうか。

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立夏の候』‥夏の始まりは新緑と薫風から
[0518 - 3785]
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≡≡ ワクチン騒動・その2 ≡≡

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我先にという風潮はいかがなものか

 いまだに終わらない医療関係者へのワクチン接種と並行して高齢者への接種が徐々に進み出している。接種予約も本格的に動き出した。私が住む区でも予約券を発行する直前になっているという

 ニュースでは、予約開始とともにドドドッと人が集まり、大混乱が起こっていると繰り返し伝えている。
 打てるのならできるだけ早く打ちたいと思うのは当然といえば当然。特に重篤化する可能性の高い高齢者向けの接種となれば“それいけ”となるのもうなずける。
 しかも、現在接種対象になっている年齢層は時間的に余裕のある層である。働き盛りのように仕事との兼ね合いを最優先させる必要もない。

 だがしかし、である。

 順番が回ってくるのにはまだ時間が掛かりそうな私は率直なところ「ちょっと加熱しすぎじゃないか」という印象を抱いている。

 そんなに急がなくてもいいじゃないか。
 人さまにネット予約を頼むほどのことでもない。電話で充分だ。
 これじゃアイドルのライブ予約と同じじゃないか。

 なかには「家庭内感染の対象からじいちゃんばあちゃんを外せるな」と不埒なことを考え、飲み会に精出す輩だって出てくるかもしれないぞ。

 と、いろいろなことを考えてしまった。

 先に打ったからといっても最大でも2カ月早くなるだけ。1年以上誰にも増して注意してきたのだから、あとしばらくの辛抱なんて大した我慢ではないはずだ。
 しかも接種率が上がれば国も自治体も催促し始めるに決まっている。それからでも遅くはないのだ。
 誰よりも早くと願うのも人情だが、周囲の騒動に巻き込まれないようにしたいところである。度が過ぎて、どこかの政治家や実業家と同じような人生観の持ち主と思われては元も子もない。

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立夏の候』‥夏の始まりは新緑と薫風から
[0517 - 3784]
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≡≡ ワクチン騒動 ≡≡

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我先にという風潮はいかがなものか

 いまだに終わらない医療関係者へのワクチン接種と並行して高齢者への接種が徐々に進み出している。接種予約も本格的に動き出した。私が住む区でも予約券を発行する直前になっているという

 ニュースでは、予約開始とともにドドドッと人が集まり、大混乱が起こっていると繰り返し伝えている。
 打てるのならできるだけ早く打ちたいと思うのは当然といえば当然。特に重篤化する可能性の高い高齢者向けの接種となれば“それいけ”となるのもうなずける。
 しかも、現在接種対象になっている年齢層は時間的に余裕のある層である。働き盛りのように仕事との兼ね合いを最優先させる必要もない。

 だがしかし、である。

 順番が回ってくるのにはまだ時間が掛かりそうな私は率直なところ「ちょっと加熱しすぎじゃないか」という印象を抱いている。

 そんなに急がなくてもいいじゃないか。
 人さまにネット予約を頼むほどのことでもない。電話で充分だ。
 これじゃアイドルのライブ予約と同じじゃないか。

 なかには「家庭内感染の対象からじいちゃんばあちゃんを外せるな」と不埒なことを考え、飲み会に精出す輩だって出てくるかもしれないぞ。

 と、いろいろなことを考えてしまった。

 先に打ったからといっても最大でも2カ月早くなるだけ。1年以上誰にも増して注意してきたのだから、あとしばらくの辛抱なんて大した我慢ではないはずだ。
 しかも接種率が上がれば国も自治体も催促し始めるに決まっている。それからでも遅くはないのだ。
 誰よりも早くと願うのも人情だが、周囲の騒動に巻き込まれないようにしたいところである。度が過ぎて、どこかの政治家や実業家と同じような人生観の持ち主と思われては元も子もない。

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≡≡ 三社祭と雨 ≡≡

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雨がそぼ降る中
斎行は無事終了

 令和三年5月15日・16日 三社祭例大祭の式典と新型コロナウィルス鎮静祈願祭、各町のお祓い神事、御神札の授与及びお囃子、巫女舞だけの斎行で無事終了した。だが、祭の花形の神輿の渡御は宮も町内も含め中止された。

☆☆☆☆☆☆☆

 トラックによる宮神輿という異例の渡御を斎行した昨年と比べ、より強い感染予防策を取った結果、今年の三社祭は完全に神輿なしの祭事になってしまった。

 緊急事態宣言は今年も三社祭をはじめとして東京下町の祭を直撃した。

 そもそも神社の祭礼に付きものの神輿には、神社に祀られる御神体が神輿に乗って各町を渡御し、町と氏子衆を清めるという役割が与えられている。
 御神体が三体ある三社祭では三基の宮神輿が各町会を練り歩くのが習わしになってきた。

 しかし、コロナ禍が蔓延する中、昨年は宮神輿をトラックに載せた形での渡御で終わり、今年はそれも中止された。
 幼稚園児と小学校低学年向けの山車も、小学生用の子供神輿も、大人たちが一年間楽しみにしてきた町内神輿も何もかもが中止された。

 だが、ひとつだけ習わし通りだったものがあった。雨が降ったのだ。

 三社神社の御神体は大川(隅田川)に投げられた投網から引き上げられたとされている。つまり「水」とは深い関係にあるものとされてきた。
 そのため、氏子衆のなかには「宮神輿の渡御が行われる祭事3日目の日曜日には雨が降る」と信じている人が多い。

 縁起を担ぐなら「宮神輿は出せなかったが、雨が降ったということは御神体が守ってくださっている」とも捉えられるわけだ。すなわち、天空のどこかで見守ってくださっているご神体によって、各町会も氏子衆も、お清めを受けることが出来たのだ。

 コロナ禍は市井の人間に寂しい思いをさせたが、今日の雨は、その虚しさを知った御神体が「神輿の渡御がなくても御神体は守っておる」と教えてくださった印なのかもしれない。そう理解しておこう。

 来年こそは神輿の練り歩く祭が斎行されますように。

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立夏の候』‥夏の始まりは新緑と薫風から
[0516 - 3783]
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≡≡ 静かな土曜日 ≡≡

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何気なく過ごした一日の大切さ

 コロナのことも、徐々に焦点化し始めているオリンピックのことも、何も考えずに一日を過ごした。気を使ったのは外出した時のマスクだけだ。
 そのせいか、心に穏やかな時間が戻ってきたような気がしている。

 いつもの米屋で七分搗きの米を買い、下町の商店街をウロウロし、バラが咲き誇っている花壇を冷やかしたあと、スーパーで自分用と猫用の食材を買って、ゆっくりと帰る。
 知らず識らずのうちに身についてしまったノーマスクの人を見逃すまいとキョロキョロしてしまう動作も今日は出ない。

 これでマスクをしていなければ「忘れていた平穏な生活」そのもの。言ってみれば、しょぼくれたオッサンのジミ過ぎる日常である。
 しかし今日は、こんな何でもない一日がいかに大切なものだったかに気付かされた。

 短い時間で必要不可欠なヤボ用を済ませてそそくさと帰る。手と顔を洗ったらホッとひと息。こんな悪夢のような生活から抜け出せるのはいつのことだろう。

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立夏の候』‥夏の始まりは新緑と薫風から
[0515 - 3782]
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