∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 街中は誰もがマスク姿 ≡≡

解放感より不安感

「もう外していいですよ。条件付きですが、自己責任でお願いします」。

 いくら政府が基準を緩めても、ことマスクに関してはすぐに「ハイ、そうですか」とはいかない。いや、いけないと言ったほうが的確かもしれない。

 マスクが日常生活の必需品になって2年半。我々は、自主的な判断のうえで、ノーマスクで外出することなど滅相もないことだと刷り込まれてきた。いくら専門家が提言を出したとしても、個々人がノーマスクでも大丈夫だと確信出来るようになるまでは取り扱いが慎重になって当然だろう。

 今日、東京では2025人の新規感染者が確認された。数十人ではない。どんなに前週同日比で約90%だといっても、いまだに千人単位の人が罹っているというのに「治まってきた」とか「沈静化してきた」とは判断できない。なにしろずっと数字とにらめっこしながら暮らしてきたのだ。いっぱしに感染症対策の知識だって蓄積してきた。ちょっとやそっとで“お言葉に沿う”ことなど出来るものではない。しかも要請されたものを受け入れながらも自主的に判断した制約である。自分のやり方を信じるのが自然の成り行きというものである。

 私が「人とすれ違わない場所ならノーマスク。雑踏以外は口だけマスク」と決めるのだってそれ相当な覚悟をした上での決断。専門家の提言を鵜呑みにして「よし、外そう」と決めたのではない。
 おそらく多くの人が同様な判断をして“様子見”しているはずだ。それも同調圧力に屈しているのではなく、築き上げてきた生活スタイルの変更を決めかねているといったものである。

 専門家の提言自体も、ある意味、英断といっていいものだったと思うが、ことこの問題に関しては、受け入れるかどうかを一般市民にお任せいただこう。
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[season12/0523/25:00]
小満』‥草木が伸びはじめる頃。夏めいていく中に梅雨の予感。
photograph:souji-ji, tsurumi,city of yokohama
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≡≡ マスク論議 ≡≡

すでに巷では
ノーマスク増加中。
それにつられて私も……

 5月20日に「マスクについての専門家の見解」が出て以来、さっそくノーマスクで歩く人が増えた。

 専門家の見解をざっくりまとめると「人通りの少ない屋外」「熱中症のリスクが高い時」「運動している時や自転車に乗っている時」など他人との距離が保てる場合や、ほかのリスクが上昇する可能性がありそうなら必ずしも必要がないということらしい。
 だが街中では、この発表を聞いた途端に「屋外・会話なしならマスク不要」という言葉だけが独り歩きし始めたわけだ。

 暑くなってきたし、我慢するのにも限度があるし、お墨付きが出れば人の目を気にする必要もないし。さっさと外そうと思うのは当然の話である。
 だが「人との接触が少ない屋外」というのがどういう場所なのかという具体例は示されていない。つまり個々人の主観が最終的な判断基準だと言っているようなものである。

 国はマスクにしてもワクチンにしてもすべて要請やお願いで危機を乗り越えてきた。それに対してノーマスク解禁に関しては前向きな見解で押し切ろうとしているわけだ。
 強引な制限を掛けられるより、自主性に任せてもらいたいと考える日本人は数多い。言葉を変えれば「待ちに待った時が来た。国から余計なことを言われたくない。自分で判断する」ということである。

 ということで、私も「人とすれ違わない場所ならノーマスク」という自主基準を少し緩めて「自己判断で雑踏と思われる場所を歩く時以外は口だけマスク」を追加することにした。
 口だけマスクなら鼻呼吸だけで過ごせるし、マスクの下が汗だくになることもない。しかも人混みに近づけばすぐに鼻も隠せる。人さまから冷ややかな目で見られることも少ないだろう。いい事ずくめである。
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[season12/0522/24:30]
小満』‥草木が伸びはじめる頃。夏めいていく中に梅雨の予感が。
photograph:souji-ji, tsurumi,city of yokohama
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≡≡ 『小満』の時季 ≡≡

春植えの草木が伸び始め
秋植えの麦は収穫の時を迎える。
成長への期待と
収穫の喜びが共存する頃。

 二十四節気では、今日から『小満』の時季に入る。春に植えた草木が伸び始めることと、秋に植えた麦が収穫を迎える「麦秋」が重なり、成長への期待と収穫の実感が共存する時季でもあり、夏の訪れを実感する日もあれば、梅雨が始まる兆しを感じることもある時季。いわば、ふたつの季節感を同時に体感できる時季といっても差し支えないだろう。
 江戸時代に著された『暦便覧』には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」とモノゴトが満ち溢れていくサマが記されている。

「走り梅雨」のうっとうしさに負けず、残り少なくなった初夏の趣を存分に楽しむポジティブさがこの時季には欠かせない。初ガツオと空豆を食すのも一興、か。
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[season12/0521/24:30]
小満』‥草木が伸びはじめる頃。夏めいていく中に梅雨の予感が。
photograph:souji-ji, tsurumi, city of yokohama
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≡≡ 宮出しまであと二日 ≡≡

-特別な三社祭
3年ぶりの神輿渡御

 5月20日金曜日。東京・浅草が一年で一番熱くなる三社祭が始まりました。夕方になって三基の宮神輿(本社神輿)に三体の御神霊が移られて“静かにその時を待つ”状態になっています。
 コロナ禍の影響で神輿の渡御がなくなって3年。町内神輿は練り歩けないし、宮神輿も曳台に乗られたままで担ぐことは出来ませんが、それでも、ここまで我慢に我慢を重ねてきた“選ばれし担ぎ手衆(氏子執行員)”も、PCR検査で引っかからないように気を付けて、静かに“気持ちのアイドリング”を続けているようです。

 三社祭は、都内の祭では珍しく、早々と神輿を復活させました。祭関係者の皆さんの英断には拍手喝采です。たとえ制限付きかつ、町神輿が出せないとしても、宮神輿が出るのと出ないのとでは大きな違いがあります。なにしろ《祭》あっての浅草ですから。

 ところで、見物を予定している皆さんにひと言ご忠告を。

・すでに三体の御神霊はいつもいらっしゃる本殿から三基の宮神輿に移られています。「宮神輿を指差さしたりせず、宮神輿にお参り」されたほうがより神様への敬意が感じられるものです。
・なお、この三社祭は「浅草寺境内にある三社神社の祭」です。お参りする時は、浅草寺は御本堂で、三社神社は宮神輿でと分けられるのをお勧めします。
・宮神輿は三社神社に祀られている三体の神様が氏子町会を渡御して清めてくださるものです。神輿を見下ろすことは神様を見下ろすことに繋がります。
三社祭御神体は大川(隅田川)からお出でになりました。そのため、宮神輿には水、つまり雨が付き物とも言われています。突然の雨は御神霊が喜んでいらっしゃるからとご理解を。

 不完全ながらも祭も戻リ、やっと浅草に初夏が帰ってきます。訳あって担ぎ手から距離を置くことになった私も-課していた封印を解いて-ワクワクしはじめています。
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[season12/0520/25:20]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
photograph:ueno park, taito city
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≡≡ 未来を見据えれば ≡≡

トルコによる
スウェーデンフィンランド
NATO加盟反発の落とし所

 スウェーデンフィンランドNATO加盟をトルコが反発している。原因はトルコが反政府武装組織と認定しているクルド人スウェーデンがかくまっていることと武器輸出禁止措置だという。
 だがこの反発は来年トルコで行われる大統領選挙に向けてのメッセージではないかという推測も流れているようで、どこまで本気なのかは未知数である。

 なんとも厄介な国が現れたものだ。今回の加盟問題はロシアの暴走に備えるために盛り上がってきたもの。いわばヨーロッパ全域をカバーする”未来に向けての安全保障戦略”である。その意味を解せずに、自らの立場を堅持しようとするのは理不尽なふるまいそのもの。自国だけに与えられるメリットを探っているとしか思えない。トルコが反発を強めてる真意はどこにあるのだろう。

 近代以降、トルコは周囲の国と協調したり反発したりすることで自国の権利を守ってきた。失礼ながら“八方美人でないと生き残れない国”と看做されてもやむを得ない印象が強い。
 関係国からは「今回の反発は、理解はできるが納得はできない」と思われていることをどう解釈しているのだろう。今が「言いたいことを言ってから、どこかでオイシイ話を引き出して妥協しよう」では済まない状況だということを理解しているのだろうか。

 現在はNATOの重要な同盟国だとしても、今のままでは一定の距離を置く国が増えていくことは容易に想像できる。今回に限っては、できるだけ早く、水面下で“落とし所”を提示したほうが得策ではないだろうか。
 33人のクルド人には目をつむって、スウェーデンからの武器輸出と第三国からの新たな供与が手に入ればヨシと割り切ったほうが-歴史的に見ても-トルコらしいのではないだろうか。
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[season12/0519/25:00]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
photograph:ueno park, taito city
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≡≡ 久々のいい天気 ≡≡

これでこそ「立夏」。
「夏」が「立ち」ました

 いい天気でした。気持ちよく過ごせました。二十四節気立夏の節気も終わり近くになってようやく初夏らしくなりました。
 我が家の猫たちも一日中外出。きっと居眠りとご近所の見回りで一日を過ごしていたのでしょう。

「夏が立った」ような一日だったせいか、ちょっと浮かれて「梅雨入りまではカラッと晴れててもらわないとな」なんて勝手なことも言いたくなってしまいました。

 天気予報によると今週いっぱいは好天が続き、2週間後くらいから関東地方も梅雨入りの気配が濃厚になるとか。ということは、あと2週間は心地よく過ごせるということです。その間に我が身にも、カラッとした晴れ間とサラッとしたそよ風が実感できる時が訪れてくれるといいのですが。
 余談ですが、梅雨入りすると痛みがスッと消えていく私の神経痛は今日も健在。左膝下は相変わらずジーンとシビレています。

 同じ外歩きでも、雨が降っているとそれだけで鬱陶しいもの。ウマくいった日でも、気持ちはどこかしら沈みがちになってしまいます。そんな日が来るまではせいぜい毎日を楽しませてもらいます。
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[season12/0518/24:15]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
photograph:ueno park, taito city
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≡≡ 陥落 ≡≡

そして、新たな展開へ

 今日の夕方、82日間集中砲火を受けていたウクライナマリウポリのアゾフスタル製鉄所が陥落したというニュースが飛び込んできた。
 この戦況の変化について、ウクライナ政府は「マリウポリの守備隊は戦闘任務を全うした。アゾフスタリ製鉄所の防衛任務は終了した」と発表している。局地的にみれば陥落だが、軍備増強に必要な時間を稼ぎ出したという視点からみれば任務完了ということになるのだろう。

 おそらくロシア側は、この陥落を偉大な成果だと主張しはじめるだろう。だが、それで済むだろうか。
 ゼレンスキー大統領は任務完了の声明を出した時に「ウクライナにはウクライナの英雄が生きている必要がある。マリウポリ守備隊の救出作戦が、軍と情報将校により開始された」とも語っていたが、それが完了したあとの展開については語らなかった。

 個人的には、ウクライナは時期を見計らって反攻しはじめると考えるほうが合理的だと感じている。捕虜交換、負傷者収容、市街地に戻ってきた市民への注意喚起などが完了するまでに長く見積もれば2カ月は掛かるだろう。
 一方、アメリカやEU諸国からの新たな武器供与が完了するまでには2カ月掛かると言われている。

 つまり、あと2カ月も経てばウクライナは新たに手に入れた兵器を使った反攻に出られるわけだ。

 ウクライナ南東部での反攻が必須なことと、市民が住む市街地での戦闘への注意。この2点は絶対に必要だが、ロシア軍兵士しかいない(はずの)製鉄所周辺には大規模で広範囲な攻撃が仕掛けられるのだ。これまでの戦略策定と情報支援と兵士の力量、そして士気の下がっているロシア軍の現状などを考え合わせると、ウクライナにとって有利な展開が期待できそうなことは容易に想像がつく。問題は戦線が北東部と南部に分かれるために起こる戦力分散だけではないだろうか。

 最後になってしまったが、マリウポリ全域で2万5千人以上、製鉄所だけで1千人以上と言われている犠牲者の皆さんには深く、深く、哀悼の意を表するとともに、死力を尽くして戦い抜いた兵士の皆さんには最大の敬意を捧げたい。
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[season12/0517/25:00]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
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≡≡ 初めての生パイナップル ≡≡

あの時から数十年経っても
沖縄人の心情を知ろうとしなかった
自分に課す課題

 幼かった頃、私はパイナップルという果物は最初から缶詰になっているものだと思っていた。ところが、父が出張土産に「緑色の葉っぱが付いた黄色くて楕円形の果物」を持ち帰ってきた。それが生パイナップルとの初めて出会いである。
 缶詰で味は知っていたが、初めて見る果物ということで盛り上がった後、母が切ってくれた。おそらく母にとっても初めての出会いだったはずだが、なんとか皮を削ぎ落として、食べられるよういしてくれたわけだ。
 輪切りだったのかどうかなど、切り方についてはすっかり忘れてしまったが、シロップ漬けになった缶詰のパイナップルのほうが甘く、酸味も少なく、柔らかくてスジ(繊維質)も少ないと感じたことだけは覚えている。

 沖縄に行くにパスポートが必要だった時代の話である。幼かった私には、アメリカ・ドルをどうやって調達したのかなどすべて無縁の世界だったし、沖縄がどういう存在なのかも知らなかった。もちろん、ドルが流通する前、沖縄の人たちが「B円」を使っていたという事実など知るよしもなかった。

 その後、自分自身が社会人になってからは沖縄に数回訪れている。
 行くたびにソーキそばを知り、A1ソースの酸味を知り、サーターアンダギーの美味しさを知り、熱帯魚のようなグルクンやミーバイに挑戦し、ぶくぶく茶を味わい……。沖縄で初めて知った食べ物はすべて物珍しく美味しいものだった。
 また、独特の色合いと意匠をもつ紅型や、島ごとに違う琉球紬の織柄に感動もしていた。
 そんな沖縄固有の文化に触れる一方で、子供の頃からアメリカン・カルチャーに憧れていた私は、至るところにアメリカン ウェイ オブ ライフが溢れているの眺めながら「アメリカに来たみたいだ」とワクワク、ドキドキもしていた。

 しかし、何度行っても沖縄の人が胸のうちに秘めている心情に触れることはなかった。きっと現地の人にとって私は「本土から来た一般人」としか見えなかったと思う。
 これまで私は、教科書や本で学んだこと以外、沖縄について深く考えたことはなかった。沖縄弁について知ろうと思ったことも一度もなかった。“ちむどんどん”が“ワクワクすること”だというのを知ったのもつい最近である。

 つまり私は、これまでの数十年、沖縄については歴史や政治や軍事の表面的なことしか知らなかったわけである。これから先、どれだけ沖縄人の心情を知ることが出来るのか。一生を終えるまでに私が気にかけるべき課題がまたひとつ増えたようだ。
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[season12/0516/25:20]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
photograph:ueno park, taito city
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≡≡ 沖縄返還50周年 ≡≡

改めて沖縄問題と向き合う時

 太平洋戦争後27年間アメリカに占領・統治されてきた沖縄は1972年5月15日に日本に返還された。それから50年が経った現在、沖縄は日本の一部として機能している。

 だが、現実はどうだろう。

 いまだに県内には31の基地があり、本島だけでも15%の面積が米軍によって専有されている。そして、そのすべてが施政権も警察権も裁判権も及ばない治外法権である。つまり、沖縄県の15%はいまだに日本に返還されていないのだ。

 政府は“嘉手納以南の返還を目指す”と言っているが、その政策の中で焦点化しているのが普天間基地の嘉手納北部キャンプ・シュワブ内の辺野古移転である。つまり“嘉手納以南”を実現させるための“辺野古移転”である。
 返還という言葉をどう解釈するかという問題は残るが、辺野古については単なる移転と捉えても差し支えない。基地の返還が真の意味での沖縄の日本返還だとしたらこの移転に疑問符が付くのは当然だろう。

 基地問題に焦点が集まりがちだが、警察権や裁判権については“返還”に向けての交渉が行われている気配がない。基地内は治外法権だから当然という杓子定規な考え方では済まない問題がここにあるというのにだ。
 返還直後やベトナム戦争当時と比べれば落ち着いてきているという弁明では済まない事件や事故も数多い。また、コロナ禍がピークを迎えていた昨年には、日本の検疫体制を無視して、米軍関係者がPCR検査も何もなしでアメリカ本土と行き来しているという事実も発覚した。

 日本が目指してきた“沖縄返還”は今のようなカタチではないはずだ。いまだに“本土並み”という言葉が使われているが、50年経っても“並み”にはなっていない。インフラ整備や生活基盤は充実してきたが、産業振興による県民の収入増という問題もカタチだけで終わっている。

 戦後77年。主権回復後70年。沖縄返還後50年。沖縄は安全保障上のキーストーンだからとか、遠く離れているからとか、ずっとそうだからといった意見や感覚を改めて、真の意味で沖縄問題と向き合う時が来ている。
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[season12/0515/25:10]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
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≡≡ 恒例の持病再発 ≡≡

もうすぐ梅雨、かな?
左膝下の神経痛がイタい

 今朝から左膝下に痛みが走るようになりました。神経痛です。

 30歳代後半に初めて経験して以来数十年、この“イタいヤツ”は私に梅雨と真冬の到来を知らせてくれています。それぞれ数週間前に数日間だけ。ある種、それ以外の時期には鳴りを潜めている長い付き合いの相棒といったところなんです。
 通年で痛めば病院にも行くでしょうが、数日間だけ我慢すれば治まるのでさして気にすることもなく、折り合いを付けて過ごしてきました。
 ちなみに、風呂に入って温めてもその場しのぎだし、湿布薬は効き目がありません。とにかく数日間だけジーンと痛み続けているのです

 東京にも梅雨の気配が近づき、透き通るような陽の光と爽やかなそよ風と別れる時が迫ってきたようです。寂しいと言えば寂しいけれど、夏が大好きな私としては、その後に続く暑い夏の訪れが楽しみになってきました。

 今朝から痛み始めたので、来週は左足をかばいながら歩くことになりそうです。マッ、個人的とはいえ、これだって年中行事のひとつ。ゆっくり歩けば、新たな気付きだってあるかもしれませんからね。
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[season12/0514/25:00]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
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≡≡ ノーマスク待望論 ≡≡

今はまだ
新時代に向けた胎動の時と
理解しておこう

 ノーマスク待望論が急拡大している。感染予防と経済再生の共存。3年ぶりに行動制限のないゴールデンウイーク。目の前に迫った蒸し暑い夏。誰もがそろそろ具体的にウィズコロナに入っていける時期が来たのではと思うのは当然である。

 岸田総理は終始今すぐの緩和には否定的な立場を表明している。しかし「今」という言葉が付いているところをみると、要は時期を見定めているということなんだろう。
 一方で、都知事は「国で統一した見解を出してほしい」と言い、島根県知事は
「インフルエンザや風邪とは違うという証拠が沖縄の実態」と、ノーマスクに関しては極めて否定的だ。

 政府にしろ自治体にしろ意思統一が遅れるのはいつものこと。シビレを切らして“同調圧力による自己判断”を下した国民を後追いしてくるのが常である。
 感染症の専門家の意見をまとめて医学的な見地に立つことよりも、世論の動向を重視するのも政治家のクセである。
 どのタイミングで緩和するかなどの具体的な指針を示すことなど滅相もないないことと考えているはずだ。

 百歩譲って、今の状態を好意的に捉えると「ウィズコロナ新時代に向けた胎動の時」ということになるのかもしれない。

 おそらく、もう少し時間が経つと「もういいよ」と見切り発車する人と「まだ早い。罹りたくない」と慎重に徹する人が共存することになるだろうが、それでもいいではないか。
 ある意味、新規感染者の増加に比べて、思ったほど経済再生が進まなかったという最悪な状態に陥るかどうかは大きな賭けである。慎重になるのも理解できるが、拙速な判断だけは避けてほしいものである。

 ちなみに私は、連休明けの新規感染者増加が収まった頃を見計らって「人とすれ違わない場所ではマスクを外し、人影が見えたらマスクをする」を個人的な基準にしようと思っている。
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[season12/0513/24:50]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
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≡≡ ヨーロッパ史は難しい ≡≡

 

授業で暗記した
年号や国名よりも
地政学的な知識が必要

 ニュースではフィンランドNATO加入がほぼ確実になっていると伝えられている。これまで中立を貫いてきた国がロシアの暴挙に見かねて軍事同盟に加入しようと動き出しているのは納得の出来る選択だと思う。
 軍事費の増加や緊張感の増大など負担は大きくなるだろうが、それでも、早急に加入が認められることを願っている。

 2カ月ほど前だったろうか。初めて加盟への動きが伝えられた時(実際は8年前のクリミア侵攻時から検討されていたようだが)、私は「なぜこれまで加入しなかったのか」と不思議に思った。負担すべき軍事費の問題か、それとも軍事力そのものの問題かなどと考えていたのだが、どうもそうではないらしい。
 そもそもフィンランドには第二次世界大戦時にナチスドイツから非人道的な攻撃を受けたうえにロシアからも攻撃されて多額の戦時賠償金を支払うことになったという歴史がある。そんな悲惨で過酷な歴史を二度と経験しないために選んだのが「フィンランド化」と言われている中立化だった。つまり、ドイツとロシア両国による侵略を避けようとしたわけだ。

 動機は様々だが、ウクライナモルドバジョージアバルト三国ポーランドハンガリー……。特に、東欧の国々は独立した年や国名だけでは語り尽くせない歴史を背負っている。いわば“取ったり取られたり”の歴史が1000年以上続いているのだ。

 私は今、そんな歴史の本質を知らない限り、現在のウクライナ侵略もNATOEUも(もちろんロシアがウクライナに執着する理由も)理解できないのではないかと考え始めている。
 紀元前のローマ帝国による侵攻でフランス(ガリア)がどうなったかというところまで遡るのは骨が折れそうだが、近世からの戦史の概略くらいは知っておいたほうがいいのかもしれない。それも世界史の授業では取り上げない地政学的な視点からの歴史である。

 ジューイッシュやロマ(ジプシー)などの人種差別問題も重ね合わせていくと、途方もないことになりそうだがウワベだけでも知っておいたほうがよさそうだ。

 それにしてもヨーロッパの歴史は入り組みすぎていて難し過ぎる。日本のような“やった、やられた”では済まない複雑さである。
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[season12/0512/24:50]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
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≡≡ 立夏らしい好天の下を ≡≡

まだ早いと分かっていながら
3年ぶりに神輿の渡御が斎行される
三社祭のリサーチに行ってきました

 薫風がそよぎ、透明感のある陽の光が降り注ぐ。今日は立夏の時季ならではの素晴らしい天気の、まさに“カラッと、サラッと”の一日でした。
 いいですねえ、こういう日。この時季はこうでないとね。

 心地よさに釣られ、やるべきことを後回しにして、浅草寺にお参りに行ってきました。正直に言うと、三社祭を目前に控えた浅草周辺がどんな雰囲気になっているか興味があったんです。

 今年は、コロナ禍の影響で神事だけを斎行される年が続いていた三社祭にやっと神輿の渡御が戻ってきます。
 5月20日から神社内で神事が始まり、5月21日は氏子44町会の神輿が三社神社に連合渡御が斎行されます。
 そして22日の日曜日は祭のメインイベントの三基の宮神輿が3方向に分かれて練り歩く本社神輿の渡御が斎行されます。朝6時30分からいわゆる宮出しが始まり、(予定では)夕方の宮入りまで三基の神輿が各町会の担ぎ手に担がれながら浅草全域を練り歩くわけです。

 浅草に神輿が戻ってくるのは3年ぶりのこと。担ぎ手はもちろんのこと、役員や警備まで全員に「不織布+神社指定の布マスクというダブルマスク・直前のPCR検査・ワクチン3回接種・検温・消毒」が義務付けられているため、例年同様とはいかないようですが、それでも地元の氏子衆は“燃えて”いるはずと想像してのリサーチでした。
 さすがに2週間前なので、街に目立った動きは見つけられませんでした。確認できたのは、この祭を担当する警視庁蔵前署の広報車が下見をしている場面だけ。氏子衆はきっと1週間くらい前から“燃え始める”のでしょう。

 コロナ禍が続く中、やっと下町に祭が戻ってきます。待ちに待った時がやって来るのです。隅田川の花火大会のように今年も中止が決定した年中行事も多いようですが、祭だけでも戻ってきてくれれば、下町に活気が戻ってくることは確実です。

 今年は東京下町に夏が戻ってきます。
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[season12/0511/25:00]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
photograph:ueno park, taito city
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≡≡ 案の定、増加中 ≡≡

新規感染者が増加している今
もっとも危惧すべきは医療ひっ迫

 連休明け直前から新型コロナ新規感染者が増え続けている。制限のない長期休暇の後だから当然と言えば当然だが、私は、その増え方に明らかな地域差が出てきたのではと感じている。

 沖縄県では、今日も2000人以上の新規感染者が出ている。また高知県では、人数は少ないものの、過去最多を更新する日が何日か出るようになっている。
 安直かもしれないが、沖縄県の増加理由はゴールデンウイーク期間に観光客が押し寄せたためと推察出来る。一方で、高知県は高齢者施設や院内感染などのクラスター感染と友人同士の会食が原因だと伝えられている。
 症状が軽微あるいは無症状の人が押し寄せれば、数日以内に県内の感染者が増えるのは当然である。また、密にならざるを得ない環境で増えてしまうのもやむを得ないことだろう。

 ごく近い将来には「感染すればいつでもどこでも治療薬が投与される」時が来るだろう。しかし今はまだそこまでには至っていない。まだコロナ禍が始まって以来の予防優先の体制は続いているのだ。

 治療薬投与の新体制が整うまで気をつけるべきは、感染者の増加よりも、医療ひっ迫かもしれない。現在の沖縄県高知県の医療体制は整っているのだろうか。そもそも首都圏と比べて人口の少ない両県には、それに合わせた医療施設しか存在しないはず。つまり、感染者が増え続ければ医療ひっ迫に陥ることは目に見えているわけだ。

 我々は、社会全体で考えると、感染症の本当の恐ろしさは医療ひっ迫だということを学習してきたはずだ。
 医療がひっ迫しさえしなければ感染即入院も可能だが、そうでないと自宅や宿泊施設での療養や隔離ということになるのだが、この仕組みほど罹患した人の不安感を増すものはない。特に感染者の増加によって混乱が起こってしまった時は「見捨てられる」のではという不安まで抱くようになるということも知っている。
だが現実は“増加”である。

 あんな不安に苛まれるような状況にはもう戻りたくない。活発な社会活動や経済活動が送れるようになりたいのだ。
 繰り返すようだが、コロナと共存出来る社会基盤が整うまでは、予防・予防・予防。それしかないのかもしれない。
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[season12/0510/24:50]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
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≡≡ 不気味な演説 ≡≡

なぜの連続だった
戦勝記念日プーチン大統領

 5月9日。宣戦布告か勝利宣言かと噂されていたプーチン大統領による対ドイツ戦勝記念日の演説は、NATOに対する非難はあったものの、ロシア軍が祖国のために戦っていると称えるだけで、ドンバス地域の併合などの刺激的な話題には触れないものだった。

 しかし、プロパガンダで洗脳されたロシア国民にとっては“きれいな”演説だとしても、フェイクニュースも含めて情報が飛び交っている国々から見ると、欺瞞に満ちた演説と切り捨てるべきものでしかなかった。

 なぜ大統領は本心を隠しているのだろう。これもKGB流の人に恐怖心を抱かせる方法のひとつなのだろうか。
 なぜウクライナ焦土化してロシアの力を世界に見せつけると言わないのだろう。戦局の思わしくない展開に直面して、さすがに今は言えないということなのだろうか。
 なぜNATO諸国が参戦すれば核攻撃も辞さないと言わないのだろう。脅せば脅すだけNATO諸国の結束を促すことになると判断しているのだろうか。
 なぜウクライナという国名を避けてドンバスとしか言わないのだろう。大統領の頭の中ではすでにウクライナという国は消滅しているか、必ず消滅させると心に誓っているからだろうか。
 なぜ軍を前にして、これ以上はないほどの叱咤激励をしないのだろう。軍の忠誠心が低いことや、司令官や士官の統率力欠如に気付いたからだろうか。
 なぜいざとなれば国民総動員令を発令すると言わないのだろう。必要以上の動揺を与えたくないからだろうか。
 なぜ必ずウクライナ全域を併合すると言わないのだろう。仕掛けたのはいいけれど、併合できたとしてもごく一部でしかないと悟っているのだろうか。

 約11分の演説だったが「なぜ」ばかりが続くものだった。

 信念がない。方策を見いだせない。聞く人の混乱と不安感と恐怖心を増長させる。レトリックに酔わせる。
 方向性を示さない(あるいは示せない)演説ほどタチの悪いものはない。聞けば聞くほど、理解しようとすればするほど、次にどんな策を打ち出してくるのかが気になってしまう。
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[season12/0509/24:50]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
photograph:ueno park, taito city
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